見出し画像

800円の幸福

大学の時、800円を使って幸福になりなさい、という授業があった。確か大学2年の時、社会経済学というなんだかふんわりした定義の一般教養の授業の一コマだった。800円を使って幸福になってレポートを書き、グループディスカッションをするという授業。最初は何だそれと思ったが、みんなそれぞれ使い途が違って興味深い授業だった。

まず多かったのは飲食物に使った人だ。800円分コンビニスイーツをたくさん買う。ひとつ800円のちょっといいプリンを買う。銀座の料亭の800円ランチ弁当。居酒屋のハッピーアワーでお通しとハイボールで800円。800円のステーキ肉を買って家で丁寧にステーキを焼いて食べる。どれもなかなかに幸福そうな使い方だった。

募金をするというのも意外と多かった。まだあの震災の記憶が新しい頃だったのもあるかもしれない。被災地への募金、アフリカの子供たちへの募金、バイト先で火事に遭った人がいたから募金したという人もいた。自分だけでなく多くの人が幸福になる使い方を選択しましたというお利口さんなレポートが多い中、募金活動をしていた中学生に大きな声で「ありがとうございます!」と言われたのが気持ちよかったという率直なレポートがあったのも面白かった。

本を買ったという人。アイシャドウを買った人。競馬に使って大外しした人。中学まで通っていた書道教室の先生に800円を渡して、『幸福』という書を書いてもらったなんて人もいた。賞金800円を賭けて小学校1年の双子の弟に3本勝負をさせた人のレポートはなかなか見応えがあった。ジャンケン、縄跳び、オセロの3本勝負を制した兄が見事800円を手にし、弟は大泣きしてその後喧嘩になったのだと言う。全く酷い兄貴もいたものだ。

いつか幸福のために使うのだと使わずにとっておく……そんなひねくれた使い方(使ったと言っていいのかどうかは怪しいが)をしたのが僕だった。幸福のために使える800円を常に持っておく、それこそが幸福なのだ……と、それっぽい文章をこねくり回してでっち上げたレポートは、クラスメイトには好評だったが先生にはハマらなかった。まあそれは仕方ない。しかしあれから10年以上経った今も、僕はいつか幸福のために使うのだと決めた800円をずっと使わずに持ち続けている。それはいつか来る幸福のために常に800円分の余白を持っているようなもので、その800円分の余白はおそらく僕の人生をちょっとだけ幸福にしている。大学の授業も色々、レポートも色々書かされたものだが、今もはっきり印象的に覚えているのはこれぐらいだ。

そういえばあの先生は元気にしているかなと思ってネットで検索してみたら、なんと2年前にセクハラをやらかして大学をクビになっているらしいことが分かって驚いた。曲がりなりにもお世話になった先生のために何か出来ることはないかと一瞬考えたが、残念ながら800円で出来ることは何もなさそうだった。

よろしければサポートいただけると、とてもとても励みになります。よろしくお願いします。