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隠されるもの

朝から下品な話ですまないと最初に申し開きをしておく。

中学時代の友人が、「ハリーポッターはさ、うんこしてるシーンがないよね」と言った。「スターウォーズもバック・トゥ・ザ・フューチャーも、ドラゴンボールもワンピースも、名作と呼ばれているような作品にもほとんどうんこをしているシーンはない。人間を描くのであれば、そこの描写を避けているのは不完全だと思う」と。

お前は何を言っているんだ?というのが率直な感想だった。何でもかんでも描けばいいってもんじゃない。うんこしてるシーンなんて必要ないだろ。誰がそんなシーンを見たいんだ。そんなシーン見せられても面白くも何ともないだろ。反論を並べ立てながらも、友人の言うことにも一理あるような気がしないでもなかった。

多くの物語は、あえてうんこをするシーンを隠して描かれている。物語に登場する人物だって生きていて、必ず排泄だってしているはずなのに。汚いもの、別に見ても面白くないものを隠して、綺麗なもの、面白いもの、ドラマティックなものだけを描く。それは本当に正しいことなのだろうか。友人と議論を交わしたのは中学時代、もう20年も前のことだが、彼の言うことに対して明確に違うと言えるだけの理由を僕はまだ持ち合わせていない。

突然こんなことを思い出したのは、件の友人が逮捕されたというニュースを聞いたからだ。インターネットで知り合った未成年の女性に対して排泄物を売って欲しいと持ち掛け、女性が断ると学校にバラすぞと恐喝したという最低の罪状であった。この事件によって、あの時彼が語ったもっともらしい芸術論は、ただのうんこ好きの変態の戯言に成り下がった。事件は全国区のテレビのニュースでも短く取り上げられたが、何故か彼の名前は伏せられ隠されていた。そういえば彼の父親は地元のテレビ局の偉い人だった。汚いものを隠すというのは、何もうんこに限った話ではない。

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