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セロリ考

何度も耳にしているような流行り歌の歌詞が、何かのきっかけにストンと胸に刺さることがある。昨日仕事の合間に行ったラーメン屋さんで流れていたSMAPの『セロリ』がそうだった。

どこにでもある何でもない恋を歌ったラブソングである。元は他人同士なのだから価値観の違いは仕方ない、でも好きで、好きだから会いたいと思う。価値観のすれ違いを『セロリが好きだったりするよね』と表現したのはキャッチーな例えではあるが、描かれているのは本当にありふれた恋だ。

ひとり塩ラーメンを待つカウンター、『つまりは単純に君のこと好きなのさ』というフレーズがトンと胸を打った。なんとまっすぐな歌詞なのだろう。ついつい複雑に考えてしまいがちな、『好き』という感情。でもこれでいいのだ。単純に君のこと好きなのさ、でいいのだ。でも『好き』って何なの?なんて疑問が湧いてくる。大丈夫、それは『つまり』の前に歌われている。『やるせない時とか心許ない夜出来るだけいっしょにいたいのさ』という気持ちである。だからなるべくいっしょにいられるようにやれるだけがんばってみる、だからなるべくいっしょにいられるように少しだけがんばってみてよと思う。それが『好き』という感情なのだ。とても分かりやすい。とても腑に落ちる。2番の歌詞では、『出来るだけいっしょにいたい』のは『一人じゃ持ち切れない素敵な時間』だと歌われている。これもとてもよく分かる。まず『やるせない時とか心許ない夜』にいっしょにいたいと思って、次に『一人じゃ持ち切れない素敵な時間』にいっしょにいたいと思う、順番もとてもしっくり来る。それが『好き』ということなのだ。

しかしながら個人的に、恋愛に関しては現在絶賛ネガティブ期なので、ここで逆もまた真なりの証明を考え始めてしまった。やるせない時とか心許ない夜とか一人じゃ持ち切れない素敵な時間も、別に一緒にいたいとは思わない、だから出来るだけがんばって会える時間を作ろうとは思わないし、少しだけがんばってみてよと言われてもめんどくさいと思ってしまう……それはつまりは単純に僕のことをそんなに好きじゃないということなのだ。シンプルな理論であるが故に、いとも簡単に逆もまた真なりが証明されてしまった。育ってきた環境が違うから好き嫌いはイナメナイし、元々何処吹く他人だから価値観はイナメナイ。ましてや男と女だからすれ違いはしょうがない、妥協してみたり多くを求めたりなっちゃうものだ。でもだからと言って、じゃあまぁいいかなんてそんなに簡単に片付かないよ……逢いたいよ……。

ひとり塩ラーメンをすすりながらそんなことを考えた、やるせなくて心許ない夜でした。

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