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血塗られた闇の画家 カラヴァッジオ『ゴリアテの首を持つダビデ』


人間の心は常に光と闇の狭間で揺れている。

カラヴァッジオは人間の心に秘められた、内なる闇の叫びを描いた画家である。彼が西洋絵画の発展に与えた影響は計り知れない。美術史を語る上でカラヴァッジオの存在を見過ごすことは許されないだろう。それを証明するように、彼が亡くなってから400年以上経った現代においてもなお、カラヴァッジオの絵画は世界の人々を魅了して止まない。

しかしその輝かしい名声とは裏腹に、カラヴァッジオは人格の破綻した殺人犯でもあった。

人間とはなんと不条理な生き物だろう。凶悪犯は罰せられるべきと言い放ちながら、歴史に名を残すほどの類稀な才人となれば手放しで賛美する。それを芸術と人間性は切り離すべきだ、などと紋切り型の一言で一蹴していいものなのか。

皮肉なことに、その優れた作品のみならず、カラヴァッジオという作家の存在そのものが、人間の心に住まう闇や矛盾を私たちに突きつけている。

悪魔の画家 カラヴァッジオの生涯

《ホロフェルネスの首を斬るユディト》

『ホロフェルネスの首を斬るユディト』(1598~1599)


ミケランジェロ・メリーシ・ダ・カラヴァッジオ(1571~1610)はイタリアの画家である。バロック絵画の創始者であり巨匠とも言われるこの画家の作品は、圧倒的な写実性と劇的な明暗のコントラストが特徴だ。カラヴァッジオは影にグラデーションを与え、光源を一点に集中させることで、伝統的なキアロスクーロ(明暗法)をより高次元なテネブリズム(劇的照明)へと昇華させた。

テネブリズムの語源はイタリア語のテネブローソ tenebroso(闇)から来ている。カラヴァッジオは悪魔に魂を差し出した代わりに、闇を自在に操る技を手にしたのだろうか。そう思わせるほど、カラヴァッジオは呪いと血にまみれた生涯を送った。


カラヴァッジオはイタリア北部ミラノで生まれた。彼が6歳の時に父親は死亡している。借金を抱えた母を助けるためカラヴァッジオは12歳から画家を志し、ミラノの画家のもとで4年ほど修行する。だが最愛の母もまたカラヴァッジオが19歳の時に死去してしまう。そうした絶望から彼の内に秘められた悪魔は開眼する。カラヴァッジオの人間性は急激に暴走をし始め、狂気に蝕まれていったのである。

カラヴァッジオは凶暴な無頼漢として悪名高く、彼とうまく付き合える人間はほぼいなかったという。そしてことあるごとに、血を求めるように人を斬りつけた。

カラヴァッジオは作品を制作する際、モデルに死体や娼婦を使ったと言われる。そしてグロテスクな断首、拷問、死を主題として作品をつくった。その作品は当時から画家として高い名声を得ていた一方、一部の人々からは下品で通俗的だと忌み嫌われた。

この傍若無人な画家は暴行、恐喝、器物損壊など幾多の罪を次々と重ねていく。そして遂に賭博で喧嘩となった際、その相手を殺害してしまう。死刑宣告をされた彼は罪から逃れるためローマから逃亡する。その2年後に逮捕されたものの今度は脱獄し、放浪生活を送りながら画業を遂行していった。そして4年間に渡る逃亡生活の旅の末、カラヴァッジオは38歳の若さで病死したのである。

『ゴリアテの首を持つダビデ』が語るもの

ゴリアテの首を持つダビデ

『ゴリアテの首を持つダビデ』(1609~1610)


『ゴリアテの首を持つダビデ』はカラヴァッジオ最晩年の代表作として知られている。旧約聖書に登場する巨人兵士ゴリアテを倒し、斬り落とした首を持っている羊飼いダビデの姿を描いた作品だ。ダビデの手に掴まれたゴリアテの生首は、カラヴァッジオの自画像である。カラヴァッジオはこの作品を枢機卿に贈答することで、自らの罪を改悛している姿勢を示し、恩赦を得ることを画策したと言われている。

ダビデの持っている剣をよく観ると、「H-AS OS」という文字が刻まれていることに気付く。これはラテン語の「humilitas occidit superbiam(謙虚さは誇りを殺す)」の略語だという説が有力だ。

要するに、このメッセージは行き過ぎたプライドに対する警句だというのである。自分自身に誇りを持つことはけっして悪しきことではない。しかし度の過ぎた誇りは虚栄心や傲慢さを産み出し、やがて取り返しのつかない問題を引き起こす。だからこそ謙虚さを忘れてはならないという戒めを意味しているというのだ。

この箴言を絵画に絡め、旧約聖書の英雄ダビデをイエス・キリストに重ね合わせるという解釈も興味深い。つまり巨人ゴリアテを悪魔になぞらえて、イエスによって悪魔は葬られるというものだ。「humilitas occidit superbiam(謙虚さは誇りを殺す)」。イエスは謙虚さであり、ゴリアテは誇りを意味する。


だが血の滴る生首やゴリアテの剣(ダビデの持っている剣)以上に、この作品において何より観る者の心に訴えかけるのは、悲しみや哀れみ、嫌悪といった様々な感情がないまぜになった、生首を見つめるダビデの形容しがたい表情ではないだろうか。暗闇の中で浮かび上がるこの人物像は奇妙なほどに印象的だ。

暗くしたアトリエを蝋燭の光で照らして描く手法をカラヴァッジオは用いた。強烈な光は強烈な影を産み出す。彼は背景や装飾物のような主題の表現に不必要なものを一切排除した。そして鮮烈な光が産み落とした深い暗黒によって、人間の心に潜む底知れぬ闇を表現したのである。

この救いようのない深遠な暗闇に支配されたとき、人間はいかに弱い存在であることか。立ち尽くすダビデのやるせないような複雑な表情こそ、人間の本質を見事に捉え、この作品を傑出した芸術たらしめていると言えよう。

人間の心を抉りだす絵画

人間の心の奥底には言い知れないほどの闇と光が交錯している。カラヴァッジオの絵画は極めて醜悪でありながら、同時に驚くほど美しい。だからこそ鑑賞者は彼の作品と対峙するとき、思わず目を背けたくなる衝動にかられつつも、その作品に釘付けになってしまう。

カラヴァッジオの作品は観る者の心を容赦なく抉る。無意識のうちに鑑賞者は、己の心に住まっている闇の存在を直視せずにはいられない。カラヴァッジオはその絵画を通して、人間の精神の混沌とした内奥でのたうち回る闇の絶叫を、まざまざと暴きだした画家といえるのではないだろうか。


最後まで読んでいただきまして、本当にありがとうございました!