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4ヶ月ぶりに太陽を見た男

ノンフィクションの醍醐味とは、圧倒的なリアル感だ。
著者や当事者にさえ、あまりに予想外な展開が待ち受ける。
事実に基づいて作成された物語は説得力を増し、読み手に犇々と迫ってくる。

極夜行 著者:角幡唯介』がまさにそういうノンフィクションだ。
極夜とは、日中でも太陽が沈んだ状態が続く現象のことをいい、厳密には太陽の光が当たる限界経度(66.6度)を超える南極圏や北極圏で起こる現象だ。対義語は白夜。

極夜の世界に行けば、真の闇を経験し、本物の太陽を見られるのではないか・・・。
極夜の果てに昇る最初の太陽を見たとき、人は何を思うのか。

ノンフィクション作家であり探検家の角幡唯介は、世界最北の村であるグリーンランドのシオラパルクから旅を始めるわけだが、その前に角幡唯介の冒険に対する世界観が圧巻である。

現在冒険と称されている活動は単なるアウトドア活動に毛がはえたものか、野外フィールドで肉体の優劣を競うだけの体力自慢による疑似冒険的スポーツがほとんどである、と喝破する。
角幡は2002年と2009年にチベット奥地の大渓谷地帯の無人空白部を単独踏査した。
また、2011年にはカナダ北極圏1600kmを徒歩で踏破した。
こうした行動は、冒険に関心のない一般の人たちにとっては単なる難行苦行にしか思えないだろう。

いったい冒険とは何だろうか。
現在、情報テクノロジーの発達によって我々はシステムの中に組み込まれてしまった。
携帯電話やGPSの普及により、人間の思考や行動を管理・コントロールされている。
ただ機械が命じるままに、何も把握せず、何も認識せず、何も判断せず、夢遊病者のように歩行したり運転したりすることが普通になった。
これは冒険や登山の現場でも当たり前になりつつある。
GPSの登場によって地理的な空間は、全地球規模でデジタルに座標軸化されたのだ。
では、冒険の本質である日常からかけ離れ、危険に満ちた体験に身を置くにはどうしたらいいのか。
それが脱システム、システムの外側にいかにして飛び出すかという観点である。

角幡は4年かけて極夜の探検を準備した。
2012年12月~2013年1月 カナダ 実験行
北緯69.7度にあるカナダ・ケンブリッジベイの集落を中心に、極夜の時期に長期移動行為が可能か実験的な偵察を行う。
2014年1月~4月 グリーンランド 偵察行
シオラパルクに拠点を移し、橇を引くための犬を購入。
GPSは使わずに、自身の現在地を知るための六分儀を使用。
※六分儀とは天体(星)や水平線・地平線を測り、その角度から現在地を導き出す機器。
2015年3月~10月 グリーンランド デポ設置行
4ヶ月に渡る長期移動のため、食料や物資は橇には乗りきらない。
事前に経由地にデポを設置することで、最小限の荷物で出発ができる。
※デポとは小型の物流拠点
2016年4月 日本
シオラパルクから電話があり、デポが白熊に食い荒ららされていたことが判明する。

そして、長い暗黒の探検が始まる・・・。
極寒の地ではマイナス40度に達し、太陽の昇らない世界、つまり暗い環境が続くと人間は憂鬱になり何もする気が起きなくなり、極夜は昔の探検家にとっても活動の大きな障碍として恐れられていた。
しかし、この状態から逃れることはできない。
そして探検の序盤、嵐に見舞われ六分儀を紛失してしまう。
六分儀はGPSにかわる極めて重要な装備だった。
角幡にとってGPSというテクノロジーのに頼らずに六分儀(天体側)で旅をすることは今回の極夜探検のひとつのテーマでもあった。
そのテーマとは、探検でどこかに到達することではなく、極夜の世界そのものを己の身体で知覚して、その知覚情報をもとに極夜とは何なのかを洞察することにあった。
六分儀を紛失してしまった今、角幡は自身の現在地を導くことができなくなってしまった。
そして、更にシステムの外に飛び出していくのである。

本書では、このような危機が次々と襲ってくる。
デポが盗まれたり、食料が足りなくなりライフルで狩りをしたり・・・。
橇を引く犬との関係にも涙腺が緩む。
生死を懸けた懸けた単独行に圧倒され、探検の描写の生々しさにも魅了される。
そして、4ヶ月ぶりに太陽を見て、どう想いどう表現するのか。
著者の強靭な精神力と筆力に、めくるページが止まらない。



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