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全く検討の付かない将来と、自分の今後。

久しぶりにはてなブログでは無く、noteに書く。特段理由は無い。というかこんな事書いてる場合じゃ無い。就職は、俺の人生は、一体どうなるんだろうか。恐れがある。来年自分が笑顔で正社員として仕事をしているだろうか。休学をしてもう一年就活をするという選択肢もあるがこの選択を信じて一年過ごすことが出来るだろうか。俺は….今のところ全てが分からず仕舞いだ。説明会を受け、面接を受け、不安でお腹が痛く、面接と説明会の間で空いた時間があれば、ネガティヴな情報をSNSで調べてはベットの上で唸る。または、ただ泥のように眠る。先ほど祖母からの電話があった。祖母は電話で「空元気でも良いから元気を出して、全部がダメになったらいかんよ。」と、大体そのような事を言った。俺はただ受話器に向かって変な笑い方をするしかなかった。

ここ数日を遡ると、就職活動の難航が自分にもたらした影響は悪い事だけ、という感じでは無い。寧ろ良い事もあった。先ず、両親との関係が以前より良くなったという事に関して。勉強してそこそこ拍が付く私立の4年制大学に進学した私は、入学してしばらく経つと次第に高校、短大卒の両親を見返してやったという変なプライドを拗らせていった。就職活動を始め、選考が軌道に乗った4年の4月ごろは特にそうした自意識が頂点に達していた様に感じる。何故か内定が出ると確信を持って受けていた第一志望の企業の最終面接に落ちた時、そうした自分のプライドが全て剥がれ落ちたように感じた。5月の末ごろ、お祈りメールを何度か読み返し、部屋から出る事ができなかったあの時間、あの瞬間は、今思えば自分が謙虚に生き直す為に必要な出来事だったように思う。浅はかで、周りを出し抜きたくて、変なプライドを持っている割に努力なんか一つもしていなかった人間は、何処かで躓いて自分が如何に愚かであったかを思い知らされる。

最近は特に父親とよく喋るようになった。自分も父親も、今思えば何処かずっと話をする時に距離感を間違え続けていたように感じる。ただ、今では自分の不安を父親に素直に話せるようになったし、父親も自分を気にかけてくれるようになった。変なわだかまりが消えていった。今まで実家を出たいと思っていた。両親に対して、自分の人生の責任を取ってほしいと我儘な感情を抱き続けていたからだろうと思う。そんな自分が嫌で無理矢理にでも家を出たかったんだと思う。今はただ自分の生活が両親の働きによって養われていた事を実感する。素朴な感想だが、労働を通して複数人の人間の学費や生活費を賄うという責任を負って生きていく事は到底俺には出来ないと、思ったから、人の人生を背負いながら生きる事をしている人たちに対してただ、尊敬の念を抱いた。

内定はある。ただ中途でも既卒でもどの様なタイミングでも入れそうな企業だ。寧ろ私はこれまでの就職活動で得た内定よりも、今のアルバイト先で正社員として働かせていただく方が打算的だし、単に楽しそうだと思う。気の合う人も沢山いる。自分をいつでも受け入れてくれると言ってくれた人もいる。全てが上手くいかなくなり、首が回らなくなっても、そこで働けるなら寧ろ本当に楽しそうだなと思う。顰めっ面でスーツを着るよりも何倍も自分に合っているとすら最近は思ってしまう。しかしただ、現実から逃げたいからそんな事を思うのかもしれない。

前述した休学の選択肢にも希望はある。SNSで知り合った友人宅に転がり込んで、東京で就職活動を改めてもう一年行うという博打めいた作戦を行おうと思いついた。リスキーな選択肢だが、これもまぁ単に楽しそうではある。愛知を離れ、東京で過ごしてみるのも面白いだろうし、現状よりは良い企業に出会う確率は上がるだろう。

「逃げ」の選択肢もあれば「攻め」の選択肢もある。寧ろここまで人に恵まれた人間がいるだろうか?しかし引っかかるのは前述した先ほどの祖母からの電話だ。まだ今年の就活も諦めてはいけないのだろうと思う。休学やバイト先での就職を行ったところで人生が豊かになるかは分からない。そもそもその二つの選択肢はモラトリアムの延長を示唆している様な気もする。俺は早く大人になりたいと思っている。


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