村上春樹とカングーと僕の誕生日。
〈この文章はブログ『茅ヶ崎の竜さん』から転載したものです〉
自分のブログをいじってたら、ひょんな流れで村上春樹さんのことを思い出した。
三年くらい前に、春樹さんが読者の質問に答えてくれる「村上さんのところ」という期間限定サイトがあって、僕がそこに寄せた二つの質問に春樹さんが答えてくれた、という喜びを記した記事を読んだのだった。
それから夕方になって、そういえばここのところずっと村上春樹なんて読んでなかったな、なんて思いながら書店へいくと、ある雑誌の表紙が目に入った。
「幻の37号車ルノー・カングーは、なんと村上春樹さんのところに行っていた!」
目を疑った。まずもって自動車専門誌に春樹さんの名前を見つけるのもおかしな感じだし、春樹さんが、僕と同じ、カングーに乗っているだと……!
読んでみると、春樹さんは「ENGINE」という専門誌の編集部にあった一世代前の通称コカングーと呼ばれる、現行モデルより小さめの(5ナンバー)カングーを借り受けたところ、ひどく気に入って、今も神奈川の自宅から東京の仕事場間の往復や、大きな荷物を積んで走る際に使っているそうである。
シルバーのカングーに乗る春樹さんの写真も何枚か載っていて、ダンディですごくカッコいい。
好きな小説家が同じ車に乗っているって嬉しいな、なんて少年みたいに浮かれながら書店をうろついていると、今度はまた別の雑誌の表紙に、またもや春樹さんの名前を発見。
「夏だ!海だ!サーフィンだ!新連載 村上春樹「村上T」僕の愛したTシャツたち」
なんて文字が、あの永遠のティーンエイジャー雑誌「POPEYE」の表紙に踊ってるじゃないか。
世界的作家のわりにan・anで連載を持っていたり、幅広いフィールドで活躍する春樹さんだけど、歳を重ねてからまたずいぶん場が広がって、発信が加速してるような気がする。歳を重ねたからこそ「夏だ!海だ!サーフィンだ!」なんて陳腐なコピーだって、受け容れられるんじゃないかな。
春樹さんに限らないけど、若い頃は自分で縛りつけていた自尊心とかの鎖が外れて、力が抜けてきたのかもしれないな。僕だってそうだけど。
「ENGINE」も「POPEYE」もふだんなら買わない雑誌だけど、そういえば今日は僕の誕生日だし、たまにはいいだろうって、ろくに中身も見ないで買ってきた。
ついでに気分で、ニューヨークで発行された村上春樹さんの初期の短編集の装丁がとてもクールだったのでそれも買って、前から気になっていた『コンビニ人間』が近くの書棚にあったのでそれも買った。
おそらくいくつかの短編は読んだことのあるものだし、コンビニ人間だってKindleで買ったほうが安いんだけど、なんとなく、ひさしぶりに書店で本を買ってみたかったのだ。
それから無印良品によって、以前から欲しかったフローリングワイパーやウッドデッキ用の水拭きモップのセットなんかも買った。いらないっちゃいらないけど。
それから、円卓があって中華街に本店があるような割とちゃんとした中華料理店へいって、家族でささやかなお祝いをして、家に帰ってウッドデッキでアイスクリームを食べながら買ってきた雑誌を眺めた。
僕の記憶では、春樹さんが自動車免許を取ったのはずいぶん遅かったと思っていたんだけど、海外では前から乗っていたらしくて、だからイタリア車やドイツ車などヨーロッパ車の経験も多くて、ルノーカングーに乗っているのはとても自然な流れだったらしい。
とはいえ、僕と違ってヨーロッパからの視点で見たカングーはまた別の車みたいで、読んでいてとても楽しかった。
そして相変わらず春樹さんって人は、自分が好きなものだけを好きなように楽しんで生きているのだなあと、ちょっぴり嫉妬してしまった。
思えば、僕が若い頃から春樹さんを好きなのは、彼が世間や他人をほとんど気にせずに、自分の好きなものを好きなように楽しんでいるその生き方に憧れたからだった。
なので、小説も読むけど、エッセイや紀行文に綴られる〈生〉の言葉のほうが、彼の頑固な人生観やライフスタイルが出ていて、僕は好きだ。
世の中や時代の潮流がどう言おうと、自分はこれが好きでこれが嫌い。好きなことをやって、嫌なことはやらない。そのためには、好きに生きるためには、面倒なことも嫌なこともやるっていう姿勢。
それは、いくつになっても変わっていなかった。
小説なんかの文筆業に限らず、どんな分野においても、抽んでる人というのはみんな、言うまでもなくそういう姿勢を持っている。
嬉しくなった僕は、ウッドデッキのハンモックに揺られて、涼しくなった宵の風を感じながら、長い間読んでいなかった春樹さんの紀行文やエッセイを読んだ。
ボストンの町で暮らす春樹さんの生活を読んでいるだけで、僕の心がかるくなって、さらさらと流れていくのを感じた。
僕はずいぶん長い間、役に立つこと、身になること、意味のあることばかりを追い求めていたのだと気づいて、すこしだけ愕然とした。
村上春樹という小説家が海外でどんな暮らしをしようと、そこで何を感じ、何を考えようと、そんなこと僕の人生には一切関係ない。
そんなものを読んだからといって、お金が入ってくるわけではないし、生活が激変するわけじゃない。
でも、意味も何もなくても、それを読んでいることが、小さいけれど確かな幸せである、ということ。
僕はひさしぶりに、静かに静かに、けれどとてつもない幸福感が腹の底からじんわりと湧き出てくるのを感じた。
誕生日にはたくさんの人からお祝いのメッセージやプレゼントをいただいたけど、今年の誕生日プレゼントは村上春樹だったのかもしれないな、なんてアホなことを思う。
春樹さんの本を読んでいると、生活のひとつひとつが楽しくなる。
さっそく僕は、いつもよりすこしだけ早起きして、まだお日様が夏の暴力的な熱を発する前の朝のウッドデッキに出て、ゆっくりヨガ(という名のおじさんのストレッチ)をして、洗濯物を干して、コーヒーを飲んだ。
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