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小学生という身分

学校に行きたくない。では学校を休みたいか?

そう聞かれると、そうでもない。学校を休んだ時のペナルティが大きいことが、よくわかっているからだ。

みな学校に行くことによって「小学生」になる。だから「ズル休み」という言葉がある。

学校に行くことによって「小学生」という身分を頂戴しているのに、小学生を名乗るも学校に行かないとはなにごとか。

もちろんそこまで考えていた訳ではないが、単純に親や友達、友達の両親、そして地域からも「元気なのに学校休んだの?」という空気の中にいることが、いたたまれなかった。
胸を張って友達の輪の中にいるためには、「小学生」であることが必要だった。

小学生でありつつ学校に行かないためには、行かない理由が必要になる。
上記述べたことを小学生の自分が説明できる訳がない。もっと簡単に説明できる理由が必要だ。お腹が痛いとか、頭が痛いとか。その点僕には切り札があった。喘息だ。

僕は喘息持ちだった。小さい頃はよく発作を起こしていた。
これを理由に休んだり保健室に行ったりする訳だが、嘘をついている訳ではなく、本当に苦しかった。

と思っているのだが、正直分からない。
行きたくないから苦しくなったのか、苦しいから行かないのか。
でも学校に行かなくて済んだ時は、ほっとしたのを覚えている。

休み明けの登校が一大イベントになるのは、僕だけではないだろう。
「あいつは行きたくないから休んだ」
そうなることは分かりきっている。

「調子が悪かった」「いや学校に行きたくないからだ」

どちらが勝つかは、数によって決まる。


「小学生」という身分が横行している。
身分は社会的な意味づけだ。でも僕たちはまだ社会的な生き物じゃない。
小学生なんて、子供を社会で捉えようとした時の意味付けに過ぎない。

確かに、小学生という対等な立場で友達といたい気持ちもある。
小学校に属したい気持ちもない訳ではない。

それでも小学校という社会的な要求に答えられない時がある。

要求に答えられない自分。そんな自分をどう理解したらよかったのか。

それを学校で教えてくれよ。

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