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ハニートラップ問題について深く語ってみる

ハニートラップは男性にとって死活問題だ。一度でも引っかかってしまうと黒幕から多額の示談金を請求されるか、法律に裁かれるかの二択を迫られる。前者後者いずれの選択肢を取ったとしても、社会的に抹殺される未来か逃れることは出来ない。

なぜなら男性にとってハニートラップとは、一度標的にされたら最後、100%逃れられない負け確のイベントだからである。

私はクラロワというアプリゲームが大好きなのだが、そのゲームが好きであると表明している有名人の一人、卓球の水谷隼がいる。

彼が卓球界でどれほどの記録を残してきたか、読者の皆様はご存知だろうか。私も本記事を書くまで知らなかったが、Wikiで軽く見ただけでも、あまりの輝かしさにめまいがした。ぜひ読者の皆様も、彼の豪華絢爛な戦績に立ちくらみして欲しい。

卓球競技日本人初のシングルスでのオリンピックメダリスト[4]卓球競技日本男子初の団体でのオリンピックメダリスト。卓球競技混合ダブルスの初代オリンピック金メダリスト。卓球競技初オリンピック全競技史上(世界)初の三種目トリプルメダリスト[注 1]全日本選手権シングルス史上初10回優勝。史上初5連覇。史上初13年連続決勝進出者。男子ダブルス自身史上最多タイ7回優勝。史上最多タイ4連覇。史上最多タイ10回決勝進出者。ジャパンTOP12最多タイ決勝進出者。ジュニアの部優勝最多タイ記録。ジュニアの部最年少優勝記録。

水谷隼 wiki

まさに天才。さらに、彼未満のプロかアマチュアの練習を見ていたら、とてもただの天才とは口が裂けても言えない。誰よりも努力できる天才と言えるだろう。

1日中、卓球ラケットでピンポン球をポンポンポンポンずっと打ち返す練習を20年以上ずっと続けられるのはもう世界最強クラスの自制心の塊といって差し支えない。

しかし、そんな彼ですら、ハニートラップに引っかかってしまった。

水谷隼の場合は警察に相談し被害届を出したことで、恐喝を働いた男性が逮捕されてことなきを得た。素晴らしい判断でさすがの判断力だが、我々一般人はこの成功例を鵜呑みにしてはいけない。彼は大谷翔平よろしく社会的信頼が極めて高い。

男性はハニー トラップを仕掛けられたら確実に引っかかってボコボコにされてしまう一方で、仕掛けた側の女性は勝ち確イベントと言える。

「性加害されました、セクハラされました」

この訴えの厄介なところは、それがでたらめの虚偽だとしても第三者視点では、その女性が性加害を受けた可能性がどこまでいってもゼロにはならないという点にある。

最終的に法律がどうやって性加害か否かを判断しているのかは、凡庸な私が調べたとてこれっぽちも理解できなさそうな複雑な香りがするので詳しくは各自でお願いしたい。

一つはっきり言えることは、ハニートラップを仕掛けられた男性は社会生活を危ぶまれて、一方の女性はイージーゲーム大勝利で、一緒に仕掛けた仲間たちと成功体験を共有できる喜びに浸ることができる。

そう、普通の図式で考えた場合、男性側が地獄で女性は天国に見える。しかし私はそうは思わない。短期的に見た場合はそう映るが、一方で超長期的に見た場合、

立場は一気に逆転する。

ハニートラップを仕掛けられた男性は、法律で裁かれて罪を償うこと清算される。(本来は無実だから清算もクソもないのだが、一応、最悪のパターンの話)

だからこそ、次のまた違う人生のステージを進めることができるという解釈もできる。もちろん再び社会生活を営むことは歩き始めることは本当に困難なことだと思うが、長い目で見れば確実に復活できると私は考えている。

しかし、ハニートラップを仕掛けた女性の側は"それ"ができない。

仕掛けた女性側は法律においてはおそらく圧倒的強者側で、しかもそれが成功することで身内や仲間とも絆が深まる。しかし、ハニートラップをした女性にほんのわずかでも罪悪感がある場合は話が変わってくる。

意図的に仕掛けているとはいえ、誰かに好意を持たれているという状態は決して嫌なことではないはずだ。もちろん生理的に受け付けない人たちからのストーカー的求愛、特に性加害は最悪で許されない行為だが、しかし概ね自分の存在を認めてくれる、承認欲求を満たしてくれている人に対して100%露悪的な態度は取れないと思う。

そもそもハニートラップという行為は、お互いの恋愛が"これから"始まるっていう雰囲気を演出して、仕掛ける側の女性が隙を見せることで男性にそういった行為を促させて、いざ男性が勇気を出して行動に出た瞬間を狙って

「えっ!?触ったでしょ!」

と寝返りの一撃必殺を食らわせるまでの一連の流れを指す。

よもや男性が「乳房を触れるための契約書を作ったのでサインと印鑑お願いできますか」と女性に懇願出来る訳が無い。筆舌しがたい溢れんばかりの豊かな感情の表出こそが恋愛だというのに、女性からの法的な承諾を得ようとするなんて明らかに荒唐無稽だ。

もちろん恋愛の形は人それぞれでケースバイケースであることは言うまでもないが、基本的には男性側が瞬間瞬間を察して最終的に意を決せなばならない。少なからず女性側もそれを求めていることだろう。

ちゃんと察して、意を決して行為をとってくれた男性を社会的に一刀両断して何の罪悪感も抱かない女性はごく少数だと私は考えている。もちろん、衣服足りて礼節を知る。この言葉は重い。

法律も仲間も裁いてくれない、ハニートラップを仕掛けた女性はずっと同じステージの人生を歩み進めることになる。罪悪感に苛まれて、告発を試みようとしても、仲間たちから反発を食らう。本当に告発してしまったら仲間外れにされるか、最悪報復されかねない。

それならば罪の意識を持った女性はどうしたらいいのか。私は詳しくはないが、神様か牧師に懺悔することが基本的だと思う。しかし多くの日本人は神に対して真正面から向き合うことは極めて難しいことだ考えている。

告発すること、懺悔すること。この二つの代わりとなる三つ目、ウルトラCとして私が提案したいことは、

「陽キャ哲学しよう」ということである。どういうことか。以下、陽キャ哲学の本を一部引用する。

結局はコミュニティという有史より存在した共助システムが一番個人の承認欲求の欠乏を埋め合わせてくれる栄養であったという身も蓋もない結論である。コスパや合理性を抜きにして『所属する』という取り組みを行う勇気が必要とされている。多様性を否定して社会のメインストリームで暮らしたいというのは、競争社会を諦めていない者にとって当然の反応だ。しかし、人間は勝ち続けるか多様性を認めるかの二択しかない。あなたが才能のない99%の存在であるならば、必然的に多様性に生きなければならない。弱者はその弱者性ゆえに自身の弱者性を許容できない。自虐は心に余裕を持つ者だけの権利なのだ。しかし自虐できない自己認知は不幸を生むだけである

pakumoto. 超 陽キャ哲学 (p.36). Kindle 版.


話の内容は全く違うのだが、論旨は同じで、多様性を受け入れること、つまり多くのコミュニティに所属しようという主張だ。

(ちなみに、所属しようという”能動的”行為は、著者ぱくもと氏が掲げる”陽キャ哲学”の一番大事な概念である。)

全然違うコミュニティに参加してそこで仲良くなった人たちに犯した過ちを告白する。それに近いものとして自助グループがある。

自助グループとは

自助グループとは、同じ問題を抱える人やその人を大切に思う家族らが自主的に集まり、似たような立場や経験を持つの多くの仲間と出会い、交流しつつ、助け合える場所です。グループメンバーと体験談、想い、情報、知識などをわかちあうことで、気づき、癒し、希望や問題解決へのヒントなどを得る人が多くいます。

依存症対策全国センター


様々な依存症、問題を抱えている方々が集まってそれぞれ自分の悩み苦しみを吐露するという場所がある。私は津島隆太「セックス依存症」で初めて知った。

自助グループはでなく、他の一般的なコミュニティでも、内容の深浅は異なれど吐露することは可能なのではないか。 人間、大小差はあれどみな何かしら抱えているものはある。

色々な種類のコミュニティに能動的に所属して、様々な人たちと様々な形で告白する。それこそがハニートラップを仕掛けて罪悪感を抱いた女性側が次の人生のステージに進める方法ではないかと提案したい。

ハニートラップは法律と恋愛が本質的には相容れないものであることを教えてくれる。ではどうすればいいか。その答えを各々の仕方で見つけていくことが生きるということなのかもしれない。

本記事が何か参考になったら幸いである。



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