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自分は何なのだろうか?という問い

 子供の頃から、何かを真似するのが好きだった。厳密に言えば好き、という気持ちとは少し違う。それしか選択肢が無かった、というのが近い。
 好きなものに、一体化するほど執着する。こだわる。
 今も昔も、完璧主義である。

 小学生の頃、九九を完璧に暗記する為に、何度も反復練習をした。練習して覚えて、クラスで発表した時のあの微妙な感動は、今も覚えている。
 図書館にある物語を全部読んだら、コミュニケーションが上手く取れるようになるのではないかと思って、読書を頑張った時期もあった。しかしながら当然、物語をいくら読んでもコミュニケーション力が上がる訳では無い。友達もたくさんできる訳ではない。
 一番の得意な事は習字だった。習字は、完璧に真似る事によって、良い作品ができる。先生にも友達にも家族にも褒めてもらえる。
 逆に苦手な科目は図工だった。好きに描いて良いと言われても、手が止まってしまう。

 中学生に上がると、相変わらず習字は得意だったが、他に得意な科目ができた。国語と、歴史だ。国語はたくさん本を読んできたので、本で得た知識や文章のパターンを頭の中で適宜参照し、回答に展開するだけで良かった。そしてさらに得意だったのは歴史だった。中学校の歴史はひたすら暗記するだけで何とかなった。単純暗記、反復練習はお手の物になっていた。

 半面、数学と理科は試験の出来が怪しくなっていく。
 しかしながら、他に楽しい教科は有った。技術家庭科であった。僕は男だが、家庭科でミシンをいじるのが面白く、好きだった。そして技術の授業で、初めて電気回路というものを学んだ時の、あの感動!
 学んだ事は、確実に身の回りの生活に関係しているのだ、という事を、その頃僕は初めて経験したのである。

 数学と理科は、その後何年もかかって独学し、ようやくその良さ、素晴らしさが分かるようになった。

 ここまで読んできて、皆さんはどんな事を感じるだろうか?
 僕は、知識や技術、技能が好きなのである。もうそういったものを、愛している、と言っても良い。
 中学生の頃は、「学校は勉強する場所なのに、何故煩わしい事が、たくさんあるのだろうか?」と本気で思っていた。
 当時の僕は、学校では、知識や技術さえ身につけばよいと、本気で思っていたのである。

 結局その後、高校も大学も上手くいかなかった。「煩わしい事」が、僕には多すぎたのである。
 しかしながら、通信制の大学は卒業した。

 こんな自分は、何なのだろうか?人並みに僕も、悩んだりした。

 しかし分かってきたのは、僕のような人間も、世の中には一定数いる、という事だ。そして僕が社会の中で人の役に立つように生きていける道は、モノや道具を扱う活動であり、あるいは自然や理論を相手にしたり、時には心の中を芸術で表現する事であると、分かってきたのだ。

 まだまだ、そういった事は半端にしか出来ていないが、地道にコツコツやっていけば、道は開けていくだろう。

 僕は、人間以外のものに興味を向けると、落ち着くし、開放感を感じる。しかし、それだけでは生きていけないという事も、僕は分かっている。人の役に立つ知識や技術、あるいは芸術を、いかに高めていくか。

 そんな事を、最近考えている。


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