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「仕事も遊びも100%」の自分を卒業。50歳を迎えた今、思い描くこれからの旅路

株式会社イデアルを経営しています、和田 亮(わだ りょう)です。

本日8月30日、50歳の誕生日を迎えました。

もともと縁も所縁もなかった新潟に来て、いろんな出会いに支えられながら、仕事も遊びもとにかく全力で楽しんだ50年。今日にいたるまで、語り尽くせないほど様々なことがありました。

50歳という一つの大きな節目を迎えて、これまでの人生を一度振り返ってみるのも良いのではないか。そんな想いで今回は、これまでの人生、そしてこれからの未来について書いてみようと思います。


これまでの50年は『奇跡』人生を変えた3つの転機

50歳を迎えて、これまでの人生を一言で表すなら『奇跡』。

生まれてきたこと、家を出て新潟に来たこと、たくさんの人と出会ったこと。単純に私が今置かれている状況が奇跡だなと。これまでの人との出会いや選んできた道、全てが奇跡的だったと思います。

若い時は無茶なこともしてきたから、そういうことも含めて生きているのが奇跡っていうのもありますが。笑

私自身、今までの人生で後悔したことは一つもありません。

例えば大学に行っておけば良かったとか、新潟に来なければ良かったとか。そういう後悔は一切ない。自分のあらゆる選択に対して喜びや楽しさを感じているし、良かったと思ってます。

50歳にして、自分の人生を振り返ったときに一つも後悔がないっていうのも奇跡かもしれません。

そんな50年の中で、自分の人生を変えた「転機」と言える出来事は3つあります。

1つ目は、16歳(高校生1年生)の冬。親元を離れて仲間と3人で暮らしはじめたことです親元を離れて高校に行ったり、自分で仕事をしてお金を稼いだり。当時の生活はその後の自分の人生にもすごく影響したし、一番最初のターニングポイントだと思います。

その当時、16歳の時に工場の夜勤バイトで19歳〜30歳の年上の先輩たちと仕事・遊びを通じて仲良くなったことは、とても大きな経験でした。みんな自分より年上だったから一生懸命ついて行ったんです。そしたら、年齢は関係なく馬鹿話で盛り上がったり一緒に泣いたりできて。結局男子って年取っても本質はあまり変わらないんだなって思いました。笑

当然、同級生からは大人に見られるし、私も大人に対して自分の意見をその頃から言えるようになりました。

人は志や目標の高さでいかようにも変化するし、それによって周りからの評価や接し方も変わると学びました。

2つ目は、20歳の頃にごろうさんと出会ったこと。当時のことは3月に公開した自己紹介noteでも詳しく書いています。『五郎』(現在の「旬魚酒菜 五郎 古町店」)の経営者だった西山一栄さん(通称ごろうさん)に出会ってお店で働きはじめたのが、20歳の頃。

「仕事と遊びのどちらかじゃなくて、仕事も一流、遊びも一流になれ」というのは、ごろうさんから教わったことの一つ。ごろうさんは私より22歳年上ですが、出会った当時からとってもパワフルな人でした。

「遊びだけ一流とか仕事だけ一流っていうのは普通だから、遊びも仕事もどっちも一流っていうのが俺は格好いいと思うんだよね

という言葉の通り、ごろうさんは40代でスノーボードを始めたり、トライアスロンやラグビー、ゴルフにも挑戦。プライベートでは沢山遊びながらお店は大繁盛で、尊敬もしていたし影響された部分はあると思います。

3つ目の転機は、30歳で五郎のお店を継ぐ決断をしたこと。これも以前noteに詳しく書きましたが、10年間お世話になった『五郎』のお店を私が30歳のときに先代から引き継ぎました。

お店をそのまま引き継ぐのか、それとも自分でゼロからお店を立ち上げるのか。正直なところ、とても悩みました。

でもすでに私を信用してくれるスタッフと、私の料理が好きだと言ってくれるお客様もいる。その状態でお店が持てるって、なかなか無いことだと思ったんです。

普通は独立するときって、0から走るわけです。でも、私の場合は助走があった。50メートル走で自分だけスタート手前から走り出して、みんながスタートする地点で私はすでにスピードに乗った状態で勝負できるってことだなって。

そうやって自分自身を納得させて、『五郎』のお店を引き継ぐことに。一度は辞めることも考えましたが、この決断も正解だったなと思いますね。


「今日より良い明日を」10代から変わらない想い

50年間生きてきて、今までずっと変わらないことがあります。

“今日より明日良くしていきたいと思って生きる”
“人にされて嫌だったことはしない”

これは16歳の頃からずっと、変わらずに抱いている想いです。

昨日より今日、良くしていきたい。昨日より今日、少しでも進化していたい。たまにはミスもあるんだろうけど、そう思ってる限りは何か進化していけるんじゃないか。10代の頃からずっと、そう思って生きてきました。

おそらく、いい兄貴分でいたかったのだと思います。例えば大工の棟梁みたいに。嫌なことをしてくる先輩は反面教師にして、良くしてくれる先輩のことは真似する。周りから尊敬されて慕われる人でありたくて、それはずっと意識してきました。

反対に変わった部分でいうと、良い意味で責任感を背負いすぎなく無くなったかな。かつての私は、責任感の塊でした。新潟という見知らぬ土地で、どうにか信用を得なきゃと思い過ぎていたのでしょう。信用を失わないように、約束したことは何が何でも守ろうとした。頑張りすぎて倒れてしまうこともよくありました。

もちろん信頼は大事。でも案外、人は他人のことを気にしていないってことが、だんだん分かってきたんです。そのことに気付いたのは、まさに私の誕生日がきっかけでした。

以前、友だちが私の誕生日パーティを企画してくれました。前日の夜からみんなで集まって、12時になって日付が変わったら、みんなでシャンパンを開けてお祝いしよう!という計画。

約束の12時まで時間があったので、知人と軽く飲みに行くことに。そしたらなんと、たまたまそのお店のマスターも同じ誕生日という奇跡に遭遇!!テンションが上がってガンガン飲んでしまい、ぱっと気づいたらベッドの上。時間は朝5時。

「うわぁ、やっちゃった...」と思い主催者や友達に連絡したら、笑いながら「楽しかったよ」「そういえば亮くんの誕生日パーティだったんだ、忘れてた」なんて言われて。みんな私のために集まってくれていたと思ってたのに、私が思ってるほど大して気にしていなかったんです。

そのとき、そんなに頑張りすぎなくてもいいんじゃないか。できないことはできないと言っていいのかもな、って。いい意味で肩の力が抜ける出来事でした。


失敗も含めてすべて正解!仕事中心の20~40代

過去の自分に言いたいことがあるとすれば「全て正解!」ってことかな。できれば「深夜3時過ぎからの飲み会や締めのラーメンは全く得にはならないよ」とも伝えたいですが...

唯一教訓として伝えたいのは「何百万っていうお金を人に投資するなら、きちんと契約しなきゃダメだよ』って事ですかね。
 
でももしこの歳まで同じ失敗をせずに生きてきたら、50歳・60歳でもっと大きな失敗をしていたかもしれない。だから、良い失敗をしたなとも思っています。そういう意味では、失敗も含めて今までの出来事は全部、正解だったんですよね。

あとは、もし20〜40歳で結婚していたら絶対に失敗してたと思う。私は44歳で結婚したのですが、もしもっと若い頃に結婚していたら、私は仕事を優先していたと思うから。少しでも家族を優先してたら、今のような「プライベートの楽しさ」と「仕事での成長」は極められなかっただろうなあと。

例えば若い頃に、家族から「子どものために昼間の仕事をして」と言われたら。正直、自分が何のために今まで生きてきたのかってことを考えてしまうと思う。家族のためにそうしてって言われても、それは多分NO。

いくら家族のためにと言われても、私の人生と家族の人生は別。家族の存在はもちろん大切だけど、今までの人生を否定してまで、子どものために道を変えるってことはできないかな。

だから本当に、44歳で結婚したのは良いタイミングだったと思うんです。仕事を頑張りきってから結婚しようと計画したわけではありませんが笑 ただ周りの先輩たちを見ていて、歳をとってから長時間働くのは大変そうだなと思ってたから。結婚するまでにある程度仕事をして、そうならない環境を作ろうとはしてきましたね。

今はある程度仕事もひと段落して、現場にもそれほど出ずに主にマネージメントだけで済むようになった。そのタイミングと結婚がたまたま重なったことは、幸運だったと思います。


50歳になった今だからできる「家族時間・趣味・仕事」の両立

とにかく仕事に打ち込んだ20〜40代を経て、これからは家族との時間や自分の好きなことをする時間を大切にしていきたいと思ってます。

何もわからず様々な挑戦をした10代。
『五郎』に出会って修行した20代。
独立してがむしゃらに仕事やJC(青年会議所)など活動した30代。
仕事では和食以外の店舗展開やプロデュースなどに携わり、プライベートでは結婚もして、趣味では競技ゴルフと出会ったり、夫婦や友人と海外旅行にもたくさん行った40代。

そしてこれからの50代。若い頃に思い描いた自分ひとりの夢は達成できたので、これからは家族と過ごす時間を大切にしたい。この歳で結婚したからこそ、時間に余裕を持って子育てができる。それも含めて家族と過ごす時間をしっかり作りたいですね。

私は16歳で親元を離れて暮らしはじめました。だから「家族」というものと過ごした経験はもう遠い昔のことなんです。でもよく考えると、最期を迎えるときに「家族」ってキーポイントになるんじゃないかと思うんです。いくらお金や名声があったとしても、最期のときに来てくれるのってやっぱり家族。だから家族を持てたというのは、自分が生きてきたことの一つの証になるんじゃないかな。

あとは、いつか息子と2人旅をして世界中の海でサーフィンも出来たら良いなと思ってます。

ゴルフも一緒に出来たら2人で『サーフ&ターフ』(※)な旅をしたいですね。波が良かったらサーフィンして、難しい日はゴルフして。夜は美味しいものを食べて。そういう旅を息子とできたら楽しそうですね。

※サーフ&ターフとは…
アメリカ西海岸が発祥。とくにカリフォルニアの海岸線には数多くのサーフ・ポイントが点在していて、30ドルほども出せばパブリック・コースを回ることができます。仲間同士で「今日は波がよくないから、ちょっとゴルフでも行こうよ」という行動パターンになるのは自然の成り行き。実際にカリフォルニアから来日したプロ・サーファーに尋ねてみると、彼らの多くがゴルフも大好きだと答えます。

趣味に関しては、ゴルフで県アマチャンピオンを目指して挑戦したいですね!50代でも、若手選手と同じ条件で争って勝つことも可能なゴルフだからこそ、チャレンジしてみたい。プロ志望の子たちにどこまで自分が立ち向かえるか、燃えますね。

そして仕事では、私を信じてついてきてくれた社員の夢の実現を後押ししていきたいですね。

飲食店の現場に立ち続けてたからこそわかる、現場ならではの大変さ。だからその現場にいる子たちは最大限に支援してあげたい。なるべく現場の社員に利益が回るような形をとりたいと思っています。

飲食に長けたバックオフィスとして現在は『たらふくうなり』『おでん処じゅんちゃん』『ベネデッタ』の3店舗をサポート中。そして今後はエンジェル投資家として、まずは自社社員へ向けて投資をどんどんしていきます。当然、外部からの話でも新潟を活性化するためになるなら投資はしていきます。

今後は新たにサポート体系を構築して、今の社員40人が独立して40店舗のサポートをするのが当面の目標です。

10年後、60歳になったときには全てのお店を自社スタッフに譲っていたいですね。60歳以上の人が現場に口を出しすぎるのって、個人的にはあまり良くないと思うんです。60歳って一般的に見れば現役じゃないわけで。現役じゃない人が現場の仕事に口を出すべきじゃないなって。

60歳の人たちに来て欲しいお店だったらいいんです。でも20代30代に来て欲しいなら、30代40代の人たちが経営しないと、斬新なことができない気がします。

自分がトップとしてお店をまとめていると、どうしても現場に口を出したくなると思う。だから、お店の方は現場の人たちに任せたいんです。そしてお店を譲ってもらった人がどんどん活躍して欲しい。彼らが発展することによって会社も潤うわけだから、そういう体制を作りたいなと思いますね。

20代から今までは、遊びも仕事もどちらも100%。常に全力200%で生きてきました。

これから身体が資本。100%の中で家族・趣味・仕事 のバランスをとって、人生の後半戦を楽しんでいきたいです。

ここまで色々振り返ってみましたが、人生って「旅」みたいなものだなと思います。

私は東京で生まれ、いろんな出会いがあって新潟に流れ着いて、この土地が気に入って住んでる。これも一つの旅だなと。そしてこれからも、旅は続けたいですね。

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最後までお読みいただき、ありがとうございました。

引き続きお店や会社のことをnoteに記していきたいと思っています。ぜひチェックしていただければと思います。どうぞよろしくお願いします。

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