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モノ、コト、の先にあるもの。

モノかコトかというテーマみたいな話題をnoteで見かけた。

今自分の部屋は物欲の塊の体から、かなり削ぎ落とされて簡略化されている。

ただの整理整頓とも違う、何も持たざる生活とも違う、微妙なバランスで必要なものだけが(まだ過分ではあるが)揃った自室の居心地はまんざらでもない。

サマリーというwant、haveボタンを押すSNSサイトを始めた当初、嬉々として色々な物を上げていたが、今は聴きたいCDや訪れたい場所の今の頭の中身の羅列になっている。

そう、最近のサマリーを眺めると物欲的な側面がほとんど削ぎ落とされている。

実際の部屋も既にそうであるように、これからの自分のwantもモノではなくコトの世界に広がっているようだ。

さらに想いを馳せて、符牒を合わせると、先日、築地本願寺のnoteを投稿したように、モノからコト、さらにコトですらない佇まい、や「気」に包まれる豊穣さを安堵感を求めているような気がする。

持つ事でもなく、訪れる事でもなく(たぶん、史跡等を巡る以上に)(雰囲気を、空気を)「感じる」ことに心が揺さぶられるようだ。

だから、部屋にいても、北極に行っても、エアーズロックに行ってみてもいいのだけれど、感じたことのない上質な「気」に、心が泥炭とした時は包まれたいと、最近とみに感じている。

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