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ココロが風邪をひく、をなぜ自己申告しないといけないのか。

 人間、風邪をひいたら熱がでる。それは風邪を治そうとするカラダの防衛反応であり生理現象だ。つまり当たり前である。そして、咳が出たりする。これも防衛反応だ。体の中にあるいろんなウィルスを体の外に出そうとするときに起きる。それは当然の反応である。にも関わらず、薬局に行けば、咳止め薬、解熱剤が売られている。そしてそれを買おうとする。なぜだ。それだけを見れば、咳がでることや、熱が悪で、それを退治することが風邪を治す特効薬のような見え方をしている。なぜだ。

 つまり、風邪をひいたときにしなくてはいけないことは、しっかり栄養と水分を取って休むことである。熱をむりやり下げたり、咳をむりやりとめたりすることは健康になろうとする体の反応を阻害するようなものではないだろうか。つまり、頑張って体の健康を維持しようとする人たちを除外する行為に見えなくもない(こういう言い方なのは、もしかしたら医学的に意味があるかもしれないから)。ぼくは、表面的な事実だけを切り取って最短ルートを選択するような癖がある人だ(った。今も割とそうだけど)。だから、その事実だけを考えるとどうもそういう理解になりがちである。

 世間で騒がれているニュースや、世間体と呼ばれる意識、もしくは常識と呼ばれる知識を扱う際も同じことを思っていた(節がある。最近ではだいぶ薄れてきた)。僕はニュースをつぶさにチェックしていたし、有識者と呼ばれる人たちの意見を半ば鵜呑みにしてきた。今思えばそれはかなり危険な行為だったと思える。だが、それはいうなれば、学校で教わった処世術だったりするからこれも恐ろしい。つまり、有識者(この場合は大人や先生)の言うことをそのまま受け取り(まるで問題集の答えを見て回答を覚えるように)、その答えをいち早く察知(覚えて)して、アウトプットするスピードこそ、教育の本質だったからである。それをそっくりそのまま現代社会に応用すれば、有識者(先輩や上司)の言うことをなるべく早く覚えて(習得して)、その通りにアウトプットすることだけが上司に認められ、出世するという社会人としてのルールそのものである。

 いや、別にそれをダメだとか、時代遅れだとか言いたいわけじゃない(そう思ってはいるけど)、今回僕がいいたいことの一つは、なぜ、風邪の諸症状に対しては、分かりやすく体調を崩すので周りは心配するのに、ココロの風邪においては、「仮病ではないか」と後ろ指を指されなくてはならないのか、という点についてだ。

 ココロの病気は、本人の感じ方次第。だから、うつ病と言われても、それがうつ病なのかどうかは極論を言えば、本人にしかわからない。だから、もし仮にココロの風邪にかかったとしても、それを周りは察することができない。そればかりか、「サボっているのではないか」と疑いの眼を向けたり、「努力が足らないのではないか」と思ってしまう人が少なからずいる。いや、正直言ってしまえば、僕自身もそういう感覚はある。だからこそ、僕は自分自身がココロの風邪にかかっていたとしても自己申告できない。つまり、「ココロの持ちよう」なのであれば、「自分でなんとかする」ほうが、誰かに打ち明けて変に心配されたり、病人扱いされるよりは、ずっとましだからだ。

 あらかじめ断っておく。これは独白である。この行き場のないもやもやした気持ちを誰に話せるわけでもないので、ここに書いているだけだ。書きなぐっている、だけだ。つい先日も「心がチクチクする」というタイトルで記事をあげたが全く同じ理由だ。そのほんの数日前のブログを見て自分自身がどう考えてもココロがおかしい状態であることを客観視することができたので、こうして今またnoteを書いている。これは昼休憩中なのでサボっているわけではないことは付け加えたい。

 ちなみに午前ももやもやした気持ちを抱えながら必死になってデスクワークをこなしていた。最近のわたしにとって、このもやもやは危険だ。それでもデスクワークをこなした。そう思えば、わたしはちゃんと仕事をしている。ちゃんと仕事の質を落とさずにきっちりと仕事をしているといえなくもない。質は落ちていないのだ。だが、どうしても無理をする格好になるので、少なからずココロにダメージが残る。蓄積されていく。この蓄積、という表現が一番しっくりくる。

 ココロのダメージは、いろんな形で消化できる。その一つが「食べること」だ。好きなものをお腹いっぱいに食べて満足すれば一定数以上の幸福感を得ることができる。または、好きな音楽を聴いたり、YouTubeなどでショート動画を見たりして現世の悩みを忘れることもいいだろう。だが、ここで一番大切なことはそれらはすべて「悩みを消化していない」という事実だ。

 どういうことかと言えば、それらは「忘れる」に近い。悩みを頭の中から一時的に「消す」。つまり、頭のストレージから悩みというキャッシュを一時的に削除した状態である。スマホが当たり前の現代社会に生きるあなたならわかるだろう。キャッシュは消しても消しても「また復活する」。

 キャッシュ(ここでは悩みとする)は、行動によって蓄積される。つまり、一時的にキャッシュを削除したところで、行動が同じであれば、また「溜まる」。そう、なくならないのだ。「消化する」というとなんだかきれいさっぱりなくなるイメージがあるがそうではない。つまり、僕の勘違いのもとはここにある。悩みは、消えない。

 ならば、行動を変えれば悩みは消えると思うだろうが、そう簡単に行動を変えることはできない。それが、思考パターンならなおさらだ。ぼくがいま僕自身を悩ませている元凶こそ、この思考パターンである。

 世にいう、HSPという体質、気質である。HSS型HSPと呼ばれる気質が自分自身を表現するのに適している。まさに、ぼくだ。

好奇心旺盛、活動的で周りの人に気を配ることができる人です。 マルチタスクも得意でリーダーシップも発揮できますが、後から疲れてぐったりしてしまうことも。 周りからはアクティブに見られますが、その裏で疲れたり傷ついたりしている自分の二面性に悩むことが多くなります。
(Googleで検索した文から引用)

https://coelog.chuden.jp/child-rearing/high-sensation-seeking-hsp/

 これは気質である。病気ではない。病気ではないから、治療などない。そういう記述をたくさん見てきた。ああ、これが精神病のひとつなら、どんなに気が休まる事か。。。そんな詮無い事言っても仕方がないが、つまり、この思考パターンこそが、長年僕を苦しめているわけだ。

 冒頭に戻る。ココロの風邪は、目に見えない。どうやって知る?その傾向は?治療方法は?そうやって自分自身に問うてみたが、答えは返ってこない。なぜなら、これがどんな気質の持ち主かはわかった。ほぼわたしのことである。だが、病気ではない。気質だ。考え方を変えることで、もっと生きやすくなるとどこかに書いてあった。だが、思考パターンを変えるとはどういうことだろう。思考パターンを変えたら、明日もやってくるかもしれない「恐怖」を消去できるのか。ココロに溜まったキャッシュはどこかへきれいさっぱり消えてなくなるのだろうか。

 結論から言えば、そんなことはないだろう。だが、もう、一人で悩んで、「なかったこと」にする努力はし尽くした。もう「なかったこと」にはできない段階にまできている。つまり限界だ。もうどんな手を使ってもこのココロの風邪(みたいな気質)は、治せそうにない。だったら、どうするか。専門家に相談するしかないだろう。そして、ぼくは今週末、専門の精神科に行くことにした。もう、ぼくの苦し紛れの方法ではなんともならない。どんな気晴らしをしてもこの「恐怖」は取り除かれそうにない。病院に行って何とかなるのか?それはわからないが、なにもしないよりは。またその結果などはここで記しておこうと思います。同じことで悩んでいる誰かに届くように。


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