呪いの山羊の木。

 ヤギヌス。それは神と悪魔のちょうど中間の存在。それは、世界中が二度目の戦火に塗れる中に突如として現れ、全ての戦を人智を越えた力で終焉へと導いた存在。
 戦争を終わらせたヤギヌスはその満面の笑み山羊フェイスを轟かせ、二度目の戦争の引き金である一つの王国へと向かった。外見には何の変哲も無い山羊がただひたすらに王国を目指すその様。それを目にした誰もが、この山羊は王国に制裁を下しに行くのだろうと考えた。しかし王国にたどり着いたヤギヌスは、その地に脚を踏み入れるや否や、「この国で一番見晴らしの良い丘はどこだ」と問うた。それを聞いていた国王は、なぜそんなことを訊ねるのかと聞いたが、ヤギヌスは自身の黒い眼球をキョロキョロと動かすだけだった。国王の質問攻めは三日ほど続いた。国王は何百もの質問をヤギヌスに、唾とともに放った。しかしヤギヌスはどの質問にも答えず、ただ眼球をキョロキョロと動かすだけだった。ついにしびれを切らした国王は、諦めと怒りを混ぜた語気で、丘の所在を吐き捨てた。ヤギヌスはそれに対して満足そうにめぇと鳴くと、その丘の元へと駆けていった。三日間もの質問攻めによって顔面が唾液と鼻水と涙でぐちゃぐちゃになった国王は、ヤギヌスが見えなくなると同時にその場にばたりと倒れ、そのまま動かなくなり、やがて生涯を終えた。そんな国王の最期を知らないヤギヌスは、それから一週間の時間を掛けて丘へと向かった。歩くのは慣れているし、そもそもヤギヌスに体力の概念は無いので、別に途中で辛くなることもなかった。道中で盗賊のような存在に出くわしたが、それも簡単な頭突きで吹き飛ばしてやった。そのような手順を踏んだ上で、ようやくたどり着いた丘。みずみずしさがある草原が、山盛りご飯のようにもっこりとなっているその景色。ヤギヌスはなんとなく感動できた。ヤギヌスに涙という概念は無いが、もし涙を流せるとしたら、こういう時に流れるのだろうなとヤギヌスは思った。しかし思ったのもつかの間、ヤギヌスはすぐに行動を開始した。まずこの、山盛りご飯のような丘を登り尽くし、少しだけ平地になっているあの頂上に行く必要がある。ヤギヌスは四肢を動かし、せっせと歩いた。いや登った。丘は急斜面だった。他の国からすれば丘ではなく山と見られるのではないかと思うほど、その丘は急斜面だった。しかしヤギヌスは別に負けなかった。ヤギヌスには体力なんていう概念が無い。だからどれだけは急であろうと、四肢を付けて進むことができるのであれば別に苦労はしなかった。そしてヤギヌスはやり遂げた。急斜面を最後まで登り、頂上の平地から下を見渡すとなんと、なくこみ上げてくるものがあった。涙はこういう時にの流れるのだろうなと、ヤギヌスは再び思った。思ったと同時に、その思いを草を口の中で咀嚼するように噛み砕くと、ヤギヌスは平地のちょうど真ん中に向かった。平地は斜面と変わらず草原で、みずみずしい草が生い茂っていた。ヤギヌスはそんな平地のど真ん中に四肢を運ぶと、そこに自身の頭を突っ込んだ。首元まで埋まってしまうほどに、口の全体で草と土の味を感じることができてしまうほどに頭を埋め込み、そしてめぇめぇと鳴いた。鳴き声は土の中を走り、やがて丘の全体に広がっていったのを、ヤギヌスは無いはずの心で感じ取った。それからすぐにヤギヌスは顔を土から出した。そして顔面に付いた土を、自慢の長い舌で全て舐め取り、口に入れて咀嚼し、そして飲み込んだ。その瞬間ヤギヌスは、丘の全てと一体化したことを感じ、感動のあまりすぐに上を向いてめぇめぇめぇめぇと叫んでしまった。ただしこれは突発的なものではなく、地面と天空に一回ずつ鳴こうとヤギヌスは最初から考えていた。天空へと己の鳴き声を轟かせたヤギヌスはそれから美しい丘を見渡しながら数分待った。そしてその数分で、ヤギヌスはすっかりこの丘が気に入った。今から出現するとある物をここに置こうと考えた時は、この丘に思い入れなどこれっぽっちも無かった。しかし今は、この場所にとある物を置こうとしていることに興奮すら感じてしまっていた。そしてその時は訪れた。ヤギヌスが頭を突っ込んだその場所に、植物の芽が生えた。小さく緑色の芽は目にも止まらぬ速さで成長していった。ヤギヌスはその様を、子の成長を見守る近所のおじさんのような目線で見守った。芽はすぐに大きくなっていき、やがて丘の全体を覆うほどの大樹へと成長した。立派になったその木を見たヤギヌスは歓喜のあまりたくさん鳴いた。めぇめぇという鳴き声が、木に付いている、たくさんの葉に触れて消えていった。

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