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〈祈りのエッセイ〉義母の臨終①  

  十二月三十日の午前零時を回って何分くらいだったろう。義母が息を引き取った。娘と三人の孫たちと義理の息子が看取った。
 一九九七年十二月三十日。
 その六時間ほど前、皆で、買ってきた牛丼を食べた。個室を与えられていたので、家族はそこで食事ができたのだ。
 義母はその様子をうれしそうに見ていた。声はもう出なくなっていたと思うが、目が優しかった。見守られているという気がした。
 私たちにも、義母のいのちの時間に限りがある、という覚悟のようなものはあった。重い病状であったから。けれどお別れの時がすぐに迫っている、―六時間後に亡くなるなどと思ってはいなかった。中一と小五と小二の孫たちは、食事の時間に本当に久しぶりにお祖母ちゃんがいることを喜んでいた。
 わたしの実母が亡くなったときもそうであったが、生きている者には、死にゆく人の死がもっと先の事であると思いたいのかもしれない。
 *
 義母は痰(たん)をよく詰まらせた。そのたびに看護師に来てもらった。最期のときも、痰の吸引のために当直の看護師に来てもらった。
 その彼女は、なぜか義母を起こした。そして軽く背中を叩いた。その途端、呼吸が止まった。
 わたしたちはあわてて義母の周りを囲んだ。重篤(じゅうとく)ではあったが、六時間ほど前の様子を皆が見ているのだ。「イマ死ヌ」ということが信じられない。受け入れられない。
 けれど、時は来た。来てしまったのだ、ついに。
 わたしは息子たちに言った。
 「さ、おばあちゃんにちゃんとお別れをしようね。『ありがとう』って、言おうね」
 息子たちは、懸命に、
「おばあちゃん、ありがとう!」
「おばあちゃん、ありがとう!」
と叫んだ。その声ごえは真夜中の病室に響きわたった。
 耳は最期まで聞こえるという。孫たちの声、娘の声、そしてわたしの声は、確かに届いたと、今も思う。
 義母の顔は、ほんとうに安らかだった。透きとおった、といっていいほどの清浄さがあった。

 私たちの国籍は天にあります。(聖書)

 義母はキリスト教信仰の香りを放ちながら、天の国へ帰っていった。
 十二月三十一日、世界は新しい年を迎えようとしていた。


●読んでくださり、感謝します!
 
「死」について考えることは、「人生」について考えることです。また、自分の「死」についても考える事です。さらに、「いのち」のことを本当に尊いものだと気づくことでもあります。自分のいのちも、ひとのいのちも。