ペットは天国へ行けるの?
こんにちは!
新米クリスチャンのリョウです。
このブログは、全くのノンクリスチャンだったボクが、
クリスチャンとして導かれ、その中で見たもの感じたことなどを
気ままに書き綴っていこうかと思っています。
不定期更新ですので、たまに覗いてみてください。
第十六回目は、「ペットは天国へ行けるの?」という話です。
聖書にはペットが天国に行けるかどうかの記載はないですが、以前バイブルアンサーでも質問があったので、興味がある方は観てみてください。
さて、今回の話はボクの勝手な想像の話です。
正しいとか間違っているという事ではなく、ボクはこんな風に考えている、という話です。
是非この機会に、皆さまも天国について考えてみてください。
そして共に天国で答え合わせしましょう。
かわいすぎる猫
前回もお話しましたが、ボクは猫を飼っています。
人懐っこい茶トラ猫です。
かわいいです。
とてつもなくかわいいです。
こんなかわいい子を与えてくださった神様に毎日感謝しています。
(ちなみにボクは犬も大好きですよ。動物はみんな好きです)
ところで猫の鳴き声といえば「にゃー」ですが、ネコ科の動物の鳴き声って、基本的に「ガオー」ですよね?
一説によると、猫はそうやって「にゃー」とかわいく鳴くと人間が喜ぶから(そして餌をくれるから)あのかわいい鳴き声を出すのだそうです。
犬は昔から牧羊犬だったり、人間のお手伝いをしてきた歴史がありますが、猫はこうやってかわいい声をだしたり、かわいいしぐさで、
ただ「愛される」ことでご飯を食べている動物なんじゃないかと思ったりします。(昔はネズミ捕りなどの仕事はありましたが…)
野良猫はサバイバルな生活はしてますが、
どちらかというと
「おぁーー!」とか「シャー!」とか言っているイメージです。
しかし野良猫も保護されて人に慣れると、
かわいく「にゃー」と鳴いてご飯をもらうんです。
面白いですよね。
人間も猫のように神様にただ「愛される」ことに
もっと素直になった方がいいなと、猫を見て思います。
そんなかわいい猫を眺めていた時、ふと思ったことがあります。
「なんでこんなに愛おしいんだろう」
「なんでこんなに癒されるんだろう」と。
造形がかわいいだけなら、ぬいぐるみでも充分なのに
何故、餌代もかかるし、トイレの面倒もみなくちゃいけないし、住むところだって限定されるのに、
こんなに猫と一緒にいたいんだろう?
そうやって猫を抱いてみると、小さな心臓がトクトクと動いて
ボクの顔をぺろぺろ舐めてきます。
そこで気づくんです。
命がある。
神様がこの小さい体に、命を入れて下さっている。
そう考えると、このかわいさも、愛らしさも
神様の愛の塊なのだと感じます。
その愛を感じて、僕らは癒されているのだと思いました。
ペットが天国に行く条件
そんな猫にメロメロなボクですが、やっぱり天国でもこの子と一緒にいたいなと思うわけです。もう家族みたいなものですし。
動物も愛しておられる神様はきっとこの子も天国に連れて行ってくれるだろう。
そう信じてはいるのですが、ボクの中でひとつ条件があるように思うんです。
何故なら、動物たちは何も罪を犯してないのに、アダムの罪の結果を動物たちも負わなければならなかったからです。
"人間がこの世界を治めるよう創られたので、
その人間の責任を動物たちも背負わなければならなかった。"
人間と動物にはこのような関係性があると思うんです。
そしてもうひとつ、神様は動物たちを愛しておられますが、すべての動物はお救いにはならないということです。
というのも、ノアの大洪水の時、救われたのはその動物の一部の個体だけでした。
それに全ての動物が無条件で救われたら、天国は動物でいっぱいになってしまいます。
それは神様が無慈悲なのではなくて、人間と動物とは、きっと命の扱いが違うのではないかと思います。
人間と違い、動物には選択権が与えられていないので、きっと安らかに公平に、その命は扱われるのだと思います。
さて、どの動物が天国にいけるかを神様にお委ねするのはいいのですが、「うちの猫はいったい天国にいけるのだろうか?」というのが少し心配です。
先ほども言ったように、神様はボクらの想像を超える祝福を与えるお方なので、きっとうちの猫も天国へ行けると信じてはいますが、
「ただし、ボクが天国へ行けたなら」
という条件があるのではないかと思うんです。
アダムの罪の結果を動物たちが負ったように、
ボクの救いの恵みを、ボクの猫は受け取るんじゃないかと。
それに仮にボクが救われなくて、うちの猫だけ救われたら
天国できっと寂しい思いをさせちゃいますし。
(そうであってほしい…)
もちろん、何の根拠もない想像なのですが、少なくとも自分が救われないと話にならないなと、そう思うわけです。
猫が好きすぎて偶像になってしまうんじゃないか?
と思ったこともあったのですが、
「猫の救いはボクが救われるかどうかに関係している」と考えると、
猫が偶像になることなく、
むしろ猫を愛すれば愛するほど、
ボクが神様をもっと愛し求めなければ!と思うようになりました。
今では自然と猫を通じて神様を感じ
より一層神様に愛と感謝を捧げたくなる気持ちでいっぱいになります。
いつも猫と一緒に神様にお祈りしているんですよ笑
日々の生活の中で、いろいろなことがおきますが、
どんな時でもいつもイエス様の再臨を心待ちにしています。
そして天の御国を想像すると、いつもそこには
かわいいうちの猫が一緒にいます。
その時いつも思うことは、出来れば一人でも多く
愛する人たちとも一緒にいたいということです。
愛する教会の兄弟姉妹はもちろんですが、いまだに神様を知らない愛する人たちとも一緒にいたい。
そう思います。
ボクにはなんの力もありませんが、一人でも多くの人に
神様の愛を、伝えていきたいと思います。
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