男女の出会いについて
昔書いていたメモ書きがnoteの下書きに残っていました。
書いたのは半年前、となっていました。忘れていました。
今回、この下書きに文章を付け足してアップします。
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最近は筋トレに力をグイグイ入れていまして、今『胸筋』が四方八方に張り裂けんばかりに筋肉痛です。
前に「筋トレをどれくらいやったら超ムキムキになるんですか?」
とライザップの人に聞いたことがあります。
「週5で、4年くらいですね」
という返答が返ってきて
「最難関大学の受験勉強じゃん」
と思いました。
***
“筋肉は裏切らない” と色んな人が言います。
これは努力すればちゃんと筋肉はつくよ、という意味です。
これ「勉強」でも同じ話を聞いたことがあります。
時間をかけて、正しいやり方をすれば、学力は伸びる。
そして「努力」や「継続」をしないと学力は途端に落ちてしまう。
筋肉にもそれと同じことが言える、
ということに気づかせてもらってから、
筋肉をたいそうお持ちの方をリスペクトするようになりました。
今筋トレを週2〜週3やってますが、
筋肉は劇的に成長するものではなく、食事の管理も含めて大変です。
だから、素晴らしい筋肉に尊敬の念が生まれました。
昔、とある女性が言っていた言葉を、ここに拝借します。
『男はね、学歴と筋肉よ』
ふむふむ。
確かに確かに。
確かに確かに確かに確かに。
確かに確かに確かに確かに確かに確かに確かに確かに。
まー両方、地道な努力だったり、欲に負けない忍耐力が必要だから、
確かにそうだよね。
僕から見ても、学歴が高くて、「ナイスな筋肉」を持っている人がいたら、
「途中で投げ出さない、欲に負けない人なんだろうなー」という印象を持ちます。
これは、女性が男性を見る、珍しい視点でもあるなーとは思います。
一般的に女性が男性を選ぶ視点は、
「年収」「内面」「外見」などと聞きますから。
そんな中で「学歴」や「筋肉」という価値観は面白いなと思いました。
「筋トレ」をやったことがない人には「筋肉」に魅力を感じないだろうから、「筋トレ」経験がそんな視点を作ったんでしょう。
経験って、大事ですよね。新しい視点が増えます。
***
で、ここからはちょっと話がぴゅーっと飛躍しますが、
じゃあ「男性」は “女性の価値” をどこに置いているんでしょうか???
・年収は特に関係ないよね?
・学歴はあんまり気にしてない気がするけどね。
・顔の可愛さ?
・プロポーション?
・才能?
・家族構成?
・ファッションセンス?
・似てる人?正反対の人?
・フィーリング?
1億円稼いでいる男性は、1億円稼いでいる女性と結婚するわけではないでしょう。
女性は男性の年収を「才能」と思う人もいるかもしれないけれど、
男性のみなさんは、女性の「才能」に惹かれてる人はそれほど多くいる気はしないし。
じゃあ男性は女性のどこにその人の良さを感じて、たった1人を選んでる?
……とても知りたくなりました
「学歴と筋肉」みたいな基準を。
「可愛い」「スタイルが良い」
これは先天的なものだから、これ以外にあるとしたら、
「男性が好きになった人」
単純にこれなんかな?
人それぞれに好みがあって、
その好みの中でも1番波長やらリズムやら価値観が合った人、
ということになるんかな。
でもそれは、パズルのピースみたいに、波長が合う人を探すようなもので、
それだけだったら、偶然でしかないというか。
さらに自分に合う女性を見つけるということは、自分を知る必要もあるわけで。
たまたま出会う男女もいるんだろうけど、出会いって不思議だなー、
このことに関して全然、答えが出ないなー。
と思っていました。
女性は反対にどこを磨けばいいのかな、と。
男性は、年収=才能、と女性が思ってくれるのであれば「仕事頑張る!」という道ができますが、女性はどこを磨けばいいの?と思うよね、と疑問に思いました。分かりやすく、男性の好みの思考に合わせているのかな。美しさ、プロポーション、お化粧、所作、そういうところを努力してるのかな、と思いました。
***
(※ここまでが半年前に書いていた文章です)
(※ここからは半年後の自分がバトンを受け取って書いていきます)
(※でも別に書こうとも思ってないから、何を書くんだよ、という感じです)
(※でもここまでの文章を読んで、何かの結論に向かって書きます)
改めて、「男性は何を基準に、女性を求めているのか?」
答えは人それぞれだし、明確には決められない、ということにはなってしまうけど、結局はやっぱり「好み」になるのかなーと。
「好み」
というのは、不思議だなと思います。
他の人にとって、その女性は好みじゃないかもしれないけど、その人にとっては好みで最高な人。
好みは、自分の意志では決められないもので、一目惚れなんてまさにそれ。
これは外見だけでなく、内面の好みもあると思います。
この「好み」って何かのシグナルのような気もします。
しいて言えば「縁」のシグナルです。
「袖振れ合うも多生の縁」という言葉があります。
この言葉は、
細い道で、人と袖が触れ合うことも、ちゃんと縁がるから、袖が触れ合っているんだよ。
多生というのは、今世だけでなく、前世や来世のこと。
これまでもこれからも繋がりがあるくらい縁がある人なんだよ、という言葉です。
そうか、名前も知らないすれ違った人でもそんなに縁があるのなら、じゃあ、今の恋人、家族、友達は、相当縁が深い人になるんだろうなーと。
恋人との出会いだけじゃないんですよね。縁って。
生まれてくる子供も、きっとその年を選んできて生まれてきているような気がします。その子供が出会う友達にも「縁」があって出会ってるんだと思います。
その子供が行く学校も。
先生も。
夢との出会いも。
その夢の道の途中で出会う人も。
生まれてから、ずっと「縁」は続いていて、
それは「恋人」だけではなくて、今自分の周りにいる人。同級生。仕事の仲間。
つまり、これまで自分の周りにいた人。
これから出会う人。
家族が出会う人。
子供が出会う人。
その一つ一つが「出会い」で、その一つ一つが「縁」という同じ価値を持っている。
となると、今恋人がいない人は、別にそんなに気にしなくてもいいのかもしれない。
男女の出会いは、色んな「縁」の中の、一つ。
これまでも今も、誰かしらと出会っているのだから、出会いはちゃんとある。
人は勝手に誰かと出会い、誰かと離れ、誰かと一緒にいる。
出会いは止められないし、勝手に切れる「縁」もある。
流れのままに、自然なままに、「縁」に任せる。
あるがままに「縁」を受け入れていいのかな、と。
……半年後の自分は、思いました。
(※なんでこんな真面目な話を書いてるんだろうと思いながら続きを書きました)
最後に「好み」とは、
自分でも分かっていない無意識の自分かなと思っています。
自分の部屋にある色んなものは自分の「好み」で集めたもの。
実際に手に取って買って、いらなくなったものは部屋から無くなっていく。
服も家具も靴もポスターも漫画も。
趣味も同じようなもので、続く趣味と続かない趣味がある。
やってみないと出会ってみないと、わからない。
それは体験しないとどんな気持ちになるのか、自分が分かっていないから。
体験してみて初めて自分の気持ちに気づける。
その人と合うかどうか、話してみないとわからないのは、人は自分のことがわからないから、だとも思います。
「好み」
というのは自分のことを知るための素晴らしいシグナルなのかなと思いました。
素直に自分らしく生きるということは、自分の「好み」に気づいて、行動して、出会いを繰り返していくことなのかもしれないですね。
「好み」が生んでくれる「縁」が、「出会い」や「仕事」を与えてくれて、さらには自分の本当の気持ちを教えてくれる、ということなんでしょうか。
(※いや、さらになんでこんな真面目な話を付け足して書いてるんだろうと思いながら、ようやく書き終えました)
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