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水を得た魚/無色透明な水のような存在 – マネージャーとしての考え方

「水を得た魚」

という言葉がある。
僕はこの諺は、とてもマネージメントの考え方にも当てはまると思っている。

自分という水を得た、クリエイターという魚たちが最大限活動出来る様に、最強の環境の水となる。
マネージャーを10年以上行なってきて、自分なりにたどり着いた一つの答えは、この「水のようにあれ」という考え方だった。


変な意味じゃなく良い意味で、クリエイターは普通の人ではない、と思っている。
普通の人より遥かに感度高く世の中を生きていて、感知している世界が違うと僕はクリエイターをリスペクトしている。
そんな彼ら彼女たちだからこそ、たくさんの人を熱狂させるエンターテインメントを創出出来ると信じている。

一方、周りにいるスタッフは一般の人(少なくとも、僕は)である。
逆に言うと、一般の人であるべきである。
普通じゃないクリエイターと、普通の一般人のスタッフの関係性。
その上でスタッフが出来ることは、クリエイターの可能性が最大限爆発出来る環境を作ること。

どんなに優秀で、どんなに活発な魚がいても、そこに必要な水がなければ、その魚は死を迎えるだけだ。
自分の役割に当てはめてみると、クリエイターが魚で、僕らスタッフは水だ。

魚が水を得て、生き生きと輝ける環境。
魚たちが最大限のパフォーマンスを発揮出来る水のような存在。

その逆、不純な水のようなスタッフは、クリエイターに害を為す。
それは自分の常識であったり、概念であったり、凝り固まった考えであったり、アイデアを潰す思考であったり、可能性を汚す濁りは才能を制限する。

全ての可能性とヒントは、クリエイターの中にある。
逆に言えば、クリエイターの中にしか可能性とヒントはないと僕は思っている。

僕はクリエイターではないし、僕自身に何か特別な力があるわけじゃない。
何かをゼロから生み出すことは、僕には出来ない。
唯一僕が出来ることがあるとすれば、一般人の客観性で彼らの才能を感じて、クリエイターが何を求めているかを察知し、自分程度の常識の型に閉じ込めず、彼ら彼女らの可能性が最大化出来るようにサポートすることだけだ。

加えて、一般人の感性と客観性をきちんと保った上でクリエイターの向かうべき方向が違うと思ったら、意見することはもちろん必要である。
チームとしての目的が一緒であれば、最終的なゴールは単に道筋が違うだけで目指す方向は大抵同じだ。
その目的地に向かって、加速させたり減速させたり、水のように関わり合いながら一緒にキャリアの中を流れていく。

魚にとって必要な水であることに徹し自分だけのエゴでその水を決して濁さず、プロジェクトの大きな流れを生み出す、いるようで、いないような、でもなくてはいけない必須の存在。
無色透明な水のように、環境を作ること、流れを作ること。

マネージャーとは、「水のような存在であること」

これが今までの経験から辿り着いた、僕のマネージャーとしての大切な心得である。

https://twitter.com/Ryota_Shishido ラストラム→TOKYO FANTASY→RED 主に音楽関係のマネージャー 新しい才能との出会いを求めています。 音源やプロフィールはツイッターのDMかinfo@red.jp.netまでお気軽にお送りください!