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ノンバーバルの〈対話〉

〈対話〉というのは、辞書を引くと「向かい合って話し合うこと」という意味であるということがわかります。

ことばによるコミュニケーションのことを示しているのですが、ぼくはそれを狭義の意味としての〈対話〉だと認識しています。狭義があれば、当然、広義の意味としての〈対話〉も存在する。ダイアログ・デザイナーを名乗るぼくは、そのように考えます。

ノンバーバルの領域でも、日常的に〈対話〉は行われています。むしろ、「ことばにならない」、あるいは、「意図的に省かれたことば」にこそ、本質が現れていることも少なくありません。

〈対話〉と聴いた時に、思考を言語化したコミュニケーション、つまり、「ことば」を思い浮かべる人は少なくありません。しかし、考えてみると、「ことば」よりもノンバーバルの領域の方が遥かに情報量が多いことに気付かされます。

〈対話〉における「聴く」という姿勢は、五感を必要とします。決して「耳」だけの「聞く」ではありません。耳で聞いて、目で観察して、こころで感じるもの(ゆえに「聴」という文字の中には「耳」「目」「心」という漢字が入っています)。「ことば」を意味の上だけで受け取ってしまうと、そこにズレが生じます。

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これは何度も書いていることですが、俳優が役を演じている時に、笑いながら「君のことが嫌いだ」と言うのと、怒りながら「君のことが嫌いだ」と言うのと、涙をこらえながら「君のことが嫌いだ」という言うのとでは、同じセリフであってもそれぞれに意味合いが変わってきます。場合によっては真逆の意味とも取れます(この場合「大好き」という意味)。

日常では、そのようなことが至るところでたくさん起きています。すべての人がことばでの表現が上手だというわけではありませんし、意図的に別の意味として捉えられることばを選んでいる場合もある。洞察力(観察力と想像力を掛け合わせた力)によって、相手が発しているメッセージを受け取る必要があります。それは「ことば」の領域の外にある膨大な情報量を読み取る力です。

また、ノンバーバルの領域を意図的にコントロールすることは、バイアスにもつながります。それはしばしば「空気」と呼ばれるものです。コミュニティ内の「空気」、国家の「空気」、世の中の「空気」を感じ取りながら、日々ぼくたちは選択と判断を変えています。扱い方によっては、コミュニティ内の良い土壌を育むこともできますが、場を支配する力にもなり得ます。

「ことば」に見えない〝何か〟は確実に存在している。そして、それは予想を遥かに超えた力を持っています。ぼくがダイアログ・デザイナーとして〈対話〉の場をデザインしながら、オンラインサークル内で「空気の研究」(音楽によって、対話の空間をコーディネートする実験)を続けているのはそのためです。

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慮る力

「ことば」で表現されない部分で発しているもの。それは意識的にも、無意識的にも。それを受け取り、反応を返していくことは、立派な〈対話〉です。あるいは、「ことば」による〈対話〉をなめらかにデザインするためにもノンバーバルの領域での表現が助力となります。「この人になら話せる」という気分になってもらうことは、ノンバーバルの表現、あるいは「空気」の為せる業でもあるからです。

相手の気持ちに共感できたり、汲み取ることができたり、想像できる力。相手の反応ごとに(あるいは知識や経験に基づいて)、表現を変えていく力。「伝えること」だけではなく、「伝わること」を強く意識して、改良し続ける力。

それらの力が、これからの時代に重要になってくるのだとぼくは思います。その手段が〈対話〉なのだと信じて、日々発信を続けています。

ぼくのstand.fmのチャンネル『対話のある生活を*』には「ダイアログ・ジャーニー」というインタビューコンテンツがあります。この「ノンバーバルの〈対話〉」に関して、イメージを共有し合える人はそこまで多くないと思っています。その中でも、「それについて話せる人」はもっと稀少です。

その数少ない語り手である、ナースあさみさんにゲストに来ていただいてお話をお伺いしました。とても興味深い内容ですので、ぜひお聴きください。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。