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Gyre(思考の環流)

エチュード

毎日更新をしています。

今で70日を超えました。文章が上達しているのかはわかりませんが、「考えること」は以前より上手になったような気がします。思考や感情を言葉に収斂していく。そこから新しい問いが引き出され、感情が湧き起こり、思考が泳ぎ出す。それをまた言葉に落とし込んでいく。その往復の中で思考力はしなやかになっていきます。

成長を実感している具体的なポイントとしては、〝落としどころ〟のようなものを見つけることが早くなりました。なんとなく書きはじめた文章でも、それらしく結ぶことができる。道すがらに小さな課題を置くことで、ぜんまい仕掛けのように話は展開していきます。思考が鎖のように連なっていくイメージです。言葉がバトンを渡していく。今日の「考え」は昨日の続きであり、昨日の「考え」は一昨日の続き、というような。

思考は「書く」というエチュードによって育まれます。


ライフワーク

毎日noteを書きながらも、その外側で何倍もの量の文章を書いています。取材をして言葉と思考を整理していく。膨大な言葉を推敲して、推敲して、削いでいき、一言の質量を高めていく作業です。

一つのテキストに対して何十時間もかけることは珍しくありません。集中力も必要だし、驚くほど疲れます。でも、嫌いじゃないんですね。どちらかというと楽しい。気付いたら10時間立て続けに書いていることもあります。

「書くこと」が向いているのだと思います。考えてみたら、これほど非効率な仕事はないですよね。生産性を重視すると僕の方法は明らかに間違っている。僕にとって「書くこと」は、ライスワークではなく、ライフワークなのでしょう。



経済との付き合い方

「書くこと」を仕事とした時に、「対価」について考えることになります。経済の軸を中心に考えると、「生産性を上げる」か「稀少性を上げる」のどちらかに重心を置くことになります。ほとんどの書き手はそのジレンマに思い悩んでいるのではないでしょうか。

ファストフードのようにリーズナブルで早くできるものを提供するのか、オートクチュールのような手間暇かけた高級品を提供するのか。ただ、それはシンプルな二元論で語られるフェーズではなくなってきています。

お互いの領域が影響し合って、振り子は螺旋状の運動をはじめています。テクノロジーの進歩によってファストフードはドラマティックに品質を高めることに成功しています。その一方で伝統的なラグジュアリーブランドも効率化によって生産性を上げたり、ストリートとのコラボレーション、あるいは大衆性の高いカルチャーに寄り添うことで、ブランドの価値を保ちながらも新たな顧客を獲得する戦略を取り入れています。

互いの輪郭が溶け合いながら、混じり合いつつ変化していき、その差異を「ストーリー」によって明瞭化していくフェーズにいると感じています。品質の均一化によって、デザインやブランディング、またはサービスなど、付加価値によってオリジナリティを演出しているような状態です。

つまるところ僕たちは、個人としてもクオリティ(質)とクオンティティ(量)の両立を求められている社会にいるわけです。それだけでなく、その価値はブランディングによって自分でコントロールする必要もあるわけです。


心に残す

さて、ここで僕たちは重要な課題と向き合うことになります。

以前、この記事にも書きましたが、情報量が増えたことによって僕たちの記憶のタームは短くなっています。「心に残すこと」の難しさを実感しています。

加えて、一つ前の項で記した質の均一化と量の膨大化によって「心に残すこと」の難易度はさらに上がっているはずです。不味いラーメン屋がなくなったと同時に、頭一つ飛び抜けた美味しいラーメン屋がなくなったことに似ています。そして、おそろしいことにラーメン屋の数だけは増えているのです。

これを文章の領域で説明するならば、文章の巧いアマチュアが増え、プロの作家とそこまで差はなくなった。そして、インターネット上に書き手が増え続けているという状態です。まぁ、別にそれはそれでハッピーな世界かもしれません。世の中に美味しいラーメン屋が増え、良い文章を読む機会が増えているのだから。

ただ、それがもたらす弊害は「心に残らない」ということです。良い文章をたくさん読んだけれど、次の日には忘れてしまっている。ということが続き、さらには加速していきます。

飽和状態が訪れた場合、次のフェーズは間違いなくパラダイムシフトが起こるのですが、それを考えると同時に僕たちは自分たちに今できることをやっていかねばなりません。




独創性

一つの方法として、付加価値によって印象をコントロールすること。「心に残すこと」はブランディングと似ています。「書いた文章」そのものではなく、その届け方や与えるストーリーによって、記憶にインパクトを与えていく。

もう一つは、量を質に転化させながら独創性を養っていくことを地道にやるということではないでしょうか。クリエイティブな世界では、職人的な技能はさておき、アイデアだけで頭角を現す人間も中にはいます。ただ、その人たちの思考や発想もまた膨大な量の情報にフォルムを与え、質に転化していく中で独創性を獲得していった、という背景があります。

そのためには、「効率化」から一度距離を置くことが必要になってきます。「効率化」は均一化の道を辿ります。そこに差を生むのは「自分にしかない体験」であり、そのヒントは「無駄」にあります。

ライティングの領域で説明すると、生産性だけを考えたライスワークとしての仕事だけでは人の心に残す文章は生まれません。例えば、インタビュー記事を書く時に、大事なフレーズだけを抜き取るだけではいけない。一旦、全て書き起こすのです。ライターの中には「書き起こし」という作業を、別の誰かに頼めばいいと思っている人がたくさんいます。しかし、この一見面倒な作業にこそ、独創性の欠片が隠されているのです。

話者の言葉を聴いて、文字に起こしていくことは身体性を伴います。その運動の中から、言葉の「意味」以上の要素に触れ、それらは無意識に働きかけ、身体や精神の記憶として残ります。だから、本当は聴くことも、言葉に起こすことも、文章にして整えることも、全て自分一人でやった方がいい。

「効率」のことを考えていても、独創性は出てこないのだから。


心に残す人

消費される速度が加速する流れはこのまま続くでしょう。それに伴い、「心に残したい」と思う人も減っていき、「自然と心に残る状態」がそこにある、というだけになるのではないでしょうか。

ただ、これは逆説的ですが「体験を心に残すこと」が上手な人は、良いものをつくっている印象です。多くの人にインタビューをしてきましたが、魅力的な人は自分にとって大事な体験を覚えています。それはほんの些細な出来事であっても。

「誰かの心に残す」ためにできる最大のエチュードは、体験を「自分の心に残す」ことなのではないでしょうか。これは一つの仮説に過ぎませんが、自分の心に記憶できる人だからこそ、記憶を与えることができるのだと思います。

そのためにも、消費されることを嘆くのではなく、周囲の世界にあることを感情に乗せて心に刻む。一見、関係ないことをやっているようで、それが一番の近道なのかもしれません。



4月から有料マガジン『シルキーな日々』をはじめました。仕事のことや文章についてのことを書いています。このマガジンをはじめてから「書きたいこと」が増えました。

思考のプロセスをリアルタイムで言語化することによって、考えが整理され、さらなるアイデアが生まれます。冒頭で述べた〝思考の鎖〟が生まれます。「結論を書かなくて良い」というスタンスは、クリエイティビティに大きな影響を与えることを実感しました。

文章や思考の鍛錬をしたい人には、毎日更新に引き続き、有料マガジンをはじめることもおすすめです。





「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。