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夢と現をつなぐ列車の中で。

金沢へ向かう車両の中で。

次から次へと、締切が訪れ、綱渡りのような生活。火照る前頭葉と細切れの睡眠。黒豆大福にブラックコーヒー。鞄にしのばせた『ロバート・ツルッパゲとの対話』。雨が降ってきた。頁をめくる。ロバートとの対話は楽しい。

ロバートは不思議だ。彼の言葉は、戦争を体験した人間のそれと似ている。それも敗戦を知る者の佇まい。強く信じていたものを丸ごとひっくり返された経験がある人間は強い。「自分」の外側に答えを求めないからだ。「二度とその轍を踏まない」という冷酷な強さがある。

ロバートは不思議だ。研ぎ澄まされた客観性に冷たさを感じる一方で、その皮膚一枚向こうまで近づくと、彼のぬくもりを知る。力強い鼓動、全身を巡る血流、ピュアな情熱とやさしさがそこにはある。絶望の淵から希望を見出した人間は強い。彼の人生に何があったのかは知らない。しかし、濁りのない彼の瞳から見える景色は、いつだって美しい。

そのアンビバレンスを繋げる魔法が、彼のユーモアだ。それは、ヌーヴェル・ヴァーグの映画を観た時の感覚に似ている。突然カットアウトする、ある種の狂気は、複雑な余韻を読み手の心に刻む。雨脚が激しくなってきた。一度、ミシェル・ルグランの映画音楽を聴きながら本書を読んでみてほしい。それが、遊びのような喧嘩、ダンスのようなジョークであることがよくわかる。そして腹をかかえて笑った後、肚の中でその「問い」が残り続けることを体験する。彼はユーモアを「ユーモア」と言ってしまうような野暮な男ではない。直視することで痛みを伴う本質的な問題を、彼はユーモアで包んでオーブン焼きにしてくれている。

「美味しい」と言って飲み込んだ後、胃の中で静かに消化される時になって、僕たちの無意識へと働きかける。ロバートの言葉は、後から効いてくる。その時既に、ユーモアというオブラートは溶けて姿を消している。

喩えるならばクロード・シャブロルの映像で描かれる物悲しい美しさ。そして、彼の物語性に惹かれることに近い。似ている感覚や体験を並べると、思わぬ発見があることをバーテンダーの経験で培った。並べることは楽しい。

間もなく金沢に到着するというアナウンスが流れた。この続きはいつか、締切の山を片付けた時に書こうと思う。僕とロバートの対話は今なお続いている。



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