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お金と花伝書

お金の勉強。

魅力的な人は、“得意”を磨いて他者に価値を提供する。だけでなく、“苦手”をアウトソーシングしてじゃんじゃん雇用を生んでいる。得意なことで誰かをしあわせにし、苦手なことでも誰かをしあわせにしている。その営みが、そのにぎわいが、世の中を豊かにしてゆく。自分の得意を知り、磨くこと。そして、気持ちよく“苦手”を人に頼むこと。目の前の人を喜ばせる知恵。なんとも、あっぱれ。

月に一度、対話する人がいる。その人はクリエイターであり、起業家の顔も持つ。その人があまりにも“ビジネス”を楽しく話すから、わたしも勉強したくなった。「楽しい」の求心力はダイナミックだ。高校生の政治経済から学び直し。ことばの定義、経済の流れ、金融の仕組み、投資的発想。あたりまえだけれど、経済は世界のあらゆる現象とつながっている。社会の変化に影響を受け、移ろってゆくのが経済だ。社会が人間だとすれば、経済は身体を巡る血流のようなもの。だから、経済を学ぶことは、社会を学ぶことであり、人間を学ぶことであり、世界を学ぶこと。そんな気がする。

一つ言えることは、お金についての知識や知恵を養っている人の方が、より多くの人をしあわせにしている。“得意”を多くの人に提供したり、“苦手”で誰かの仕事をつくったり。その上で重要なこともわかる。お金の扱い方には、品性が如実に現れる。これらのひとときが、自分の美意識も見直す時間になっている。

この年齢なのにできること、この年齢だから出来ること。この二つを保ちたい。

山田詠美さんのことばを採集した。『風姿花伝』を彷彿させる。「好きなことばを聴かせてください」と問いかけに、とある方が教えてくれた。世阿弥のそれは“時分の花”と呼ばれ、その年齢に合った魅力というものがあるのだと語られる。「この年齢だからこそ」というかがやき。同時に「この年齢なのに」という違和感もまた、おもしろさであり、ときめきとなる。このことばは、今日からでも内ポケットに忍ばせてお守りにしたい。

この年齢だからこそ、提供できる価値のつくり方がある。大人が本気を出して遊ぶと、世界は燦々とする。

夜は、TwitterのSpacesでひとりパーティ。

参加したみなさんに家の本棚を見せてもらった。不思議なもので、本棚を見るとその人が浮き上がってくる。“その人らしさ”のようなものが。本棚は、その人を映す鏡なのかもしれない。そこで、ふと考える。本棚がその人の転写なのだとすれば、本棚に並ぶ本を変えればその人は変わるのだろうか。変わるような気もするし、変わらないような気もする。

ただ、その本棚という空っぽの器に、意図的に異物を混入させてゆくことは大事なのではないかと思う。それは、“わたし”ではない“新しいわたし”へと進化させるための触媒になる。賢者の石であり、エリクサーだ。

そういう意味でも、異物である書籍との出会いを工夫することが重要だ。自分の意識も無意識も届かない、予測不可能な巡り合わせ。だから、好きな人には本を贈ればいい。勝手にね。そういう文化をつくりたい。

アクシデント的に届いたその本が、自分の本棚へ混入する。それは、他の書と混じり合い、有機的に絡み合って、“新しいわたし”の一部となってゆく。



「ダイアログジャーニー」と題して、全国を巡り、さまざまなクリエイターをインタビューしています。その活動費に使用させていただきます。対話の魅力を発信するコンテンツとして還元いたします。ご支援、ありがとうございます。