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海と毒薬 著•遠藤周作

書評書こうとしたけど、なんだかWikipediaっぽくなってしまった。。



米軍捕虜を生検解剖した実際の出来事を基に描かれた小説である。

都心から1時間ほど離れた郊外町の風変わりな町医者は、世捨て人のような風体で患者を取る。肺結核を患い、気胸療法の宛てとしてこの医師にかかるようになった主人公?は唯一の身寄りとして、懐妊中である妻の妹の結婚式に参加するべく、福岡県F市に赴く。院内の希少な手がかりから町医者がF市の大学病院つき医学部を出ていることを知っていたため、式の参加者にその名である勝呂を知っているか尋ねると、彼こそが某事件の当事者であったことを知らされる。この小説では以降が過去として描かれ、結局冒頭の場面に戻らない。

過去の場面における主人公格は3名。医学生である2人と、看護婦長。この医学生の1人が冒頭シーンの町医者である。この三者を含むオペチームによって、目を背けたくなるような生検解剖が行われた。

看護婦長は、担当した満鉄勤めの患者と結ばれ、彼の転勤によって大連で過ごした過去がある。そこで流産と夫の不貞という、立て続けに起こる不幸によって女性としての尊厳を剥奪された心地となり、帰国後もそのコンプレックスに苦しめられ続ける。図らずも、その点における優越を見せつけられた相手である院長夫人に対する敵対の証として、院長の意向を叶える服従が彼女の行動原理となる。

もう1人の主人公である医学生の戸田は芦屋のボンボンとして生まれ、幼い頃から自分には良心の呵責が芽生えないことに自覚的であった。

他者の痛みを目の前にしても、まるで慈しみが芽生えることないこの性質は生検解剖においても遺憾無く発揮され、術後の発言からも心底に罪の意識が芽生えていないことを明らかにしている。この米兵の死によって結核患者数千人の命が救われることになると思えば、ためらおうはずがない、という言い残しは倫理の難問であるトロッコ問題と全く同じ構造であり、著者自身もこの行為の是非を断定しようとしていないことがよくわかる。

そして、冒頭の町医者である勝呂。この解剖で唯一正気を保つことができなかったのが彼である。

看護婦長のような諦念も、戸田のような不感もない真人間として狼狽える彼の姿が、狂気に満ちたその他の人間たちの中にあって、際立つ。

Noを突きつけることもできた彼がその判断を下すことはなかった。これは勝呂の弱さから来ているのだろうか?いずれにしても、解剖の場面になって初めて逃げ出すことを請願するありさまは、あまりに情けない姿として描かれる。そんな意思表示の勇気を持たない凡庸な人間性こそ、それが故に悪に加担する構図はアイヒマンテストと同義である。

トロッコ問題と同じく、こうした概念が明確に打ち出される前の作品であることから、これらを主題とした著者の慧眼ぶりにはやはり驚かされてしまう。 

敗色濃厚の戦時中が醸し出す閉塞感、徒労感を黒々とした海の描写や薙ぎ倒されるポプラの木によって浮かび上がらせているのも、暗澹とした印象を一層つよいものにしている。戦争というシステムがいかに人の心を蝕み、止めどない連鎖を引き起こすものなのか。



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