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筋トレを辞めます

はじめに

こんにちは!名古屋市高岳、トレーニングジムGOAL-B所属、パーソナルトレーナーの梅木です!
久しぶりに記事にするネタができたのでまとめていきます!
前回の生き様noteよりも短くしたので多少は読みやすくなっていると思います笑

※注意
この記事は読み進めるうちに気分が落ち込む可能性があります。
それを了承した上で読んでください。

それではどうぞ。


第1章 家族への不安


僕は大分県の出身で、両親、姉、祖父母たち家族は全員が大分県内に住んでいます。
両親は今年で59歳、姉は5歳年上、祖父母は80代後半から90代前半の高齢ですが4人とも元気に過ごしているというのが僕の家族です。

僕はその家族から離れ、単身名古屋で仕事をしています。正直寂しい気もしますが一人で自由にやりたいことをやるのが好きなので、特別困ることはありません。

しかしあることが家族に起こります。

母が体調を崩してしまい、定年退職目前で仕事を辞めるということを電話で知らされます。診断結果はガンなどの大病ではなく、精密検査の結果命に別状はないということです。しかしもしもの場合の手術は非常に大掛かりなものになるようで、大きな規模の病院でしかできないということを知ります。

更に祖父母も元気とはいえ高齢です。父方の祖父は背骨を圧迫骨折し入院&手術、母方の祖母は人工股関節に移植手術後という情報も同時に流れてきます。

名古屋と離れた場所で生活している僕に、一気に家族への不安が募ります。

「帰りたい。家族の顔を見たいし、自分も顔を見せないと…….。」

しかしコロナ禍での緊急事態宣言中で、当時はまだワクチンも出回っていなかったです。感染者も急増している中での帰省そのものにリスクがあります。
今帰ったところで、自分がコロナを持ち込んで家族に感染させたらどうしよう。
帰省して家族に会いたいという気持ちと、コロナを撒き散らすことになったらどうしようという気持ちの板挟み状態が始まります。

そして更に僕を帰省から遠ざける要素として、父の存在がありました。

父は自分のよく知らない領域のことを否定的に捉えたり、僅かでも危険が伴うことは絶対にやらないような人です。僕はそんな父が苦手です。小学生の頃にサッカーを始めたいと言った時、高校生でボート部に入りたいと言った時、大学生で地元に就職せずに関東圏で仕事をすると言った時、そしてボディビル競技を始めようと考えていると言った時、まず否定されてきました

「親を説得できないことはやらないほうが良い」なんて言葉を聞きますが、それに精神力や体力を消耗したくないです。なぜなら、父が納得しようがしまいが僕の意思は変わらないからです。

それでも、「どうせ否定されるんだろうな」なんて確信のない妄想ばかりが膨らんでいきます。

その否定される瞬間が怖くて仕方がない

そんな中だったので、地元に帰りたいという気持ちと帰りたくないという気持ちに押しつぶされそうな状況が続いていくことになります。


第2章 存在意義

第1章で説明したような板挟み中に、水面下で僕を蝕んでいたものがもう一つありました……….。

僕の仕事内容をざっくり説明すると以下の通りです。
・パーソナルトレーニングの提供
・フロントでの受付
・ジムの清掃
など

一般的なジムのスタッフと同じ業務ですが、僕はその中でもパーソナルが好きです。

パーソナルを担当させていただいたお客様が
「〇〇kg痩せました!」「△△kg持ち上がりました!」「周りから身体つきが変わったと褒められます!」
と言ってくださる瞬間、僕は今の仕事に生き甲斐を感じます。

インターンとして採用され12月で1年になりますが、僕はこの1年間でお客様との関わりにおいて活躍してきたと自負しています。
ここだけの話、「今月の売上〇〇万円達成!!」という結果よりも上記のような声をもらう方が嬉しいです笑

しかし、社会はやはり結果で評価します。

誰もが文句なしで「結果を残した」「この人の人生は爆裂に進んでいる」と言えるような実績がないと、GOAL-Bの社員としてジョインすることはできません。
事実、僕の実績はまだまだ弱いです。

このままでは一生インターンだという焦りも心のどこかに出てきます。
それを友人に相談すると「転職もありなんじゃない?」と返事をもらうこともあり、本気で検討したこともあります。

それでもGOAL-Bにいたいと思う理由は、

「会員様やお客様が好きだから」

これに尽きます。

ではそんなGOAL-Bで評価されるため、圧倒的な現実を作るためにはどうすれば良いのか?

当時の僕が出した答えは「ボディビル」でした。
選手として活躍して、日本全国に僕の名前を知ってもらう。自分のファンを作って遠方から自分に会いにきてくれるお客様を増やす。その延長線上で売上が伸びていく。
それが僕の答えでした。

ボート競技に学生時代を捧げ、全日本レベル最前線で結果を追い求めた経験が根拠のない自信です。

「何年かかるかは分からないけど、実績を認められさえすれば社員になれる。それが僕にできることだ。」

そんな考えを自分の脳に植え込みます。最も耳を傾けるべき心に蓋をして、これが本当にやりたいことだと思い込みます。まるで自分を洗脳したようでした。

そんな僕は10/17のマッスルゲート名古屋大会に向け、とにかく無茶な減量をやります。

ほぼ何も食べない、汗をかいて水を抜く、その上で長時間の有酸素運動やHIIT……。
絶対人に勧めることのできない減量です。(減量というより、餓死に近づける行為でした)

絞りが甘かろうが、恥を晒すことになろうが、これだけは絶対にやる。

「結果が全て。」「それ以外は必要ない。」

これだけが僕の頭にありました。筋トレが好きとか、ボディビル競技で勝ちたいなんて気持ちはとっくに消えています。

そしてとうとう限界を迎えます。


第3章 自我崩壊

大会当日の早朝にマンション近くのコンビニへ行き、会場内でのエネルギー補給用のドリンクや和菓子を購入しようと選んでいました。

そしてショーケース下段のドリンクを取ろうとしゃがみ込んだ時です。フラッと全身から力が抜けるような感覚に襲われ、視界が真っ白になりました。動けない、力が入らない、全身の感覚がない、寒い……。そのうち声が聞こえてきましたがよく分かりません。

気がついた時には救急車に乗っていました。救急隊の方々が何やら僕に話しかけていますが、ぼーっとしていてよく聞こえません。何を聞いていたのかも思い出せません。覚えているのは、ピッ、ピッ、ピッ、と定期的に聴こえる機械音と寒いという感覚だけです。

サイレン音とともに救急車が動き出した時、少しずつ意識が戻り「あ、俺倒れたんだ」と認識しました。病院に運び込まれた時には意識が戻っていたと思います。

倒れた原因は脱水症状・低血糖・若干の貧血でした。今日がコンテスト当日だと伝えると、
「次倒れたら、命に関わるよ。」
と返事があり、自分の身体は既にボロボロだと説明されました。

さらに、
「最近、不安なことや大変な思いをしましたか?」
という質問をされたので、全てを話しました。

家族のこと、仕事のこと、実績を作らないといけないこと、自分の存在価値が分からないということ……。

先生は、
「精神科に通院してください。梅木さんは恐らく心もボロボロです。」
と言いました。

ここまできて、ようやく自分が病んでいることに気付かされます。

その後も点滴中の僕に血液検査の結果を伝えながら、軽い問診をしていたのは覚えています。大きな怪我もなく、病気もなくて良かったですねと少し安心している様子の看護婦さんや先生。その一方で僕は絶望の中にいました。

「そんなのどうでもいいから、ステージに立たないと。」

「やっと自分の実績を作る日が来たのに。」

「なんで身体動かないんだよ…。」

俺は存在価値がない。

GOAL-Bにいる意味もない。

結果を残せない。

恥すら晒せない。

このままいっそ消えてしまいたい。

消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい消えたい


何も考えられなくなった僕はタクシーに乗り、帰路に就きます。

数日後、精神科に通ったときに出された診断は※”抑うつ状態”でした。(※うつの一歩手前)いわゆる心の病気です。

悩みのタネの一つである、家族への不安を取り除くのがまずやるべきことだと思い2年ぶりの帰省を決意します。

そしてジムのスタッフと仕事の日程を調整し、精神科に行ったその日のうちに実家に帰ることになります。


第4章 約束


僕の実家は大分県とはいえ、福岡県との県境に位置しています。そのため帰省するとなると大分市よりも福岡市を中継した方が早いです。新幹線で名古屋から博多へ、博多から高速バスで僕の故郷である日田市へ帰ります。学生時代は羽田から飛行機で帰ることも。

ただ今回の帰省は急に飛び出したため、時刻表などをチェックしていませんでした。結果新幹線の時間には間に合いましたが、案の定高速バスの最終便を逃したため博多に一泊します。一泊2000円ほどですごく綺麗なカプセルホテルに泊まり、家族に会って何を話そうかなんて考えながら眠りにつきました。

翌日の朝に博多駅で朝食を済ませていざ出発です。ですが2年ぶりの帰省でウキウキになるかと思いきやそうでもありません。不安ごとが重なった状態での帰省なので、移動中もずっと落ち着きませんでした。母や祖父母たちの体調はどうなのか、父になんて言われるのか。それを知ってしまうことにさえ恐怖を感じています。

自分の家に帰るだけなのに腹痛が治まらず、何度もトイレに駆け込みました。精神的にボロボロだったため”家に帰ること”そのものが僕にとって恐怖でした。

博多を出てから約2時間後、生まれ故郷に辿り着きます。
実家から最寄りのバス停で待ってくれていたのは、母でした。

少し老けたような、いつも通りのような、前より元気なような。そんな母の顔を見た瞬間に今までの感情が溢れてきて、涙が出ました。バレるのが恥ずかしかったので隣のコンビニのトイレに駆け込み、体制を整えてから家へ帰ります。

帰りの道中は帰省した実感がそれほど湧かなかったです。しかし玄関に入った瞬間、懐かしい我が家の匂いが帰ってきた事実を身体に教えてくれます。

「ただいま。」

『おかえり。』

2年ぶりの”ただいま”です。

うつのことや仕事のことなどを一通り母に話してみましたが、母が思いの外元気そうだったので辛くはありませんでした。むしろ退職した母が有意義な時間を過ごせていることなどを知れてホッとしています。

いらなくなった服でバッグを作ってみたり、料理にこだわってみたりと、自分はどんな趣味があっているのかを探すのが楽しいと言っていました。働いていた頃の母はずっと疲労している様子だったので、そこでもより安心できました。

「急に帰ってくるなんて言うから、彼女でも連れてくるのかと思った笑」

と言われた時には苦笑いと同時に若干の申し訳なさが込み上げてきましたが笑

そうこうしているうちに父と姉が帰ってきました。父はたまたま年休を取って休み、姉は僕が帰ると聞いて午後休み、梅木家が揃いました。姉が帰ってきて間もなく、父方の祖父母に会いに行くことに。

車を走らせ約30分後、祖父母の家に到着。

腰を抜かすとはこのことかと言わんばかりの驚きようで僕を迎えてくれました。二人とも歳をとったなと感じさせるようでありながら、すこぶる元気な様子です。祖父は腰を怪我してスムーズに歩くことはできませんが、僕の方へ慌てて駆け寄って僕の手を握ります。

「よう帰ってきたのお。元気じゃったか?」

と強く手を握られます。慣れ親しんだおじいちゃんの手。その瞬間胸の奥から込み上げてくるものがありました。そこをグッと堪えてしばらく団欒の時間を過ごします。

翌日には名古屋に戻る旨を伝えると寂しそうな顔をしつつも

「正月は帰ってきないね。」(帰ってきなさいね)

と笑顔で言ってくれたので、

「絶対に帰ってくるね!」

と返します。約束。これだけは守らないといけない。祖父母の楽しみを作ったからには絶対に年末年始で帰省すると心に決めます。

再び車に乗り込み、実家へと戻ります。両親、姉は気づいていたと思いますが、僕は車内で必死に涙を堪えていました。



最終章 筋トレを辞める

家へ戻るなり今日は好きなものを食べさせないと、と気合を入れた母の買い物に同行します。小学生の頃から母の買い物に同行して荷物を運ぶのが僕の家事手伝いでした。懐かしさに浸りながらも、

「肉でも魚でも好きなやつカゴに入れていきないね。」

と言われるので、スーパーのお寿司と美味しそうな牛肉を選びました。

帰って夕食&晩酌タイム。この時間を一番楽しんでいたのは言わずものがな、父です。

お酒が進むにつれて、仕事の話になりました。

実際はあまりしたくなかった話ですが、家族は僕の仕事を尊敬しているということを聞きます。

「夜のラーメンっちやっぱり太るん?」

「プロテインっち中身は何で出来ちょるん?」

「どうやったら痩せるん?」

嵐の如くボディメイクに関する質問が飛びかかるので、僕の持てる範囲の知識を教えます。全て筋トレにハマってから身につけた知識です。

ただの趣味だった筋トレで人の役に立ってるんだと知らされます。

今まさに目の前にいる家族のような悩み、疑問を持っているお客様の身体を変えてきたじゃないか。

それなのに、僕は筋トレが好きだったのに、いつの間にかそれも分からなくなり評価のため・存在価値の証明のために続けていました。


情けなさが込み上げる

筋トレで人の役に立ってたじゃないか

どうしてもっと楽しめなかったのか

何に義務感を感じて筋トレしていたのか


僕がボート部時代、自分以上のレベルの選手をたくさん見てきました。その全員が勝つため、負けないために競技と向き合っているのは間違いありません。それでも一貫しているのは、

「強い人間は、その競技がとことん好きな人間だ」

ということです。紛れもなく僕もボート競技そのものが大好きな競技者でした。

アスリート時代に経験した、最も価値あるものの一つを忘れていました。

「筋トレが好きだ、筋トレをとことん楽しむ」

その気持ちがない僕にボディビルをやれるはずがなかったと悟ります。

誰かの役に立つ結果を出さないと意味がない、そんな考えはとうに消えています。

そもそも競技は人のためにやるものではなく、自分のためにやるものでした。

「勝ちたい」「活躍したい」「評価されたい」
それら全ては自分のため
その奥底には「好き」「楽しい」がある


筋トレの話をしていて一番驚いたのは、今年のボディビル日本選手権王者の相澤隼人選手を父が知っていたことです。

ボディビルをやると初めて言った僕に対しては非常に否定的な言葉を返した父が、

「あの子の筋肉は素人目でも美しい!彫刻みたい!」

と言っています。呆気に取られます。

相澤選手がどれほど凄いのか、周りの選手の年齢層を見たボディビル観、海外と国内との違いなどを熱弁すると、

「ボディビル面白いやん!」

という雰囲気になっていました。

これは僕が高校生の頃と同じ流れです。


僕がボートを始める→家族も興味を持つ→家族総出で僕の応援に来てくれる


絶対に家族をコンテスト会場に呼ぼうと決心しました。

その中心、原動力は「筋トレが好き」という気持ちであり、
忘れてはいけないのが「筋トレを楽しむこと」


誰かのためではなく、自分のため

評価のため・存在価値の証明のために筋トレはしない

そんな筋トレはもう辞める

自分中心になれない筋トレは辞める

好きになれない筋トレは辞める

筋トレは仕事ではなく、あくまでも趣味

その趣味が結果として誰かの役に立つ

大好きな会員様へ還元できる

還元を繰り返すことが僕の実績になる

その実績で僕の価値を証明したい

それこそが僕の仕事だ


決意を固めた後のビールはいつもと違う味がしました。


翌日は母にバス停まで送ってもらい、また名古屋で頑張ってくるねと出発します。バスが走り出し母の姿が遠くなっていったと同時に涙が出てきて、しばらくの間止まりませんでした。


おわりに

いかがでしたか?

盛大なタイトル詐欺で失礼いたしました苦笑

今後の僕は来シーズンに向け、今までとは全く違う筋トレをしていきます。


自分のためにしか筋トレをしない

自分のためだから多少の無理もできる

その原動力は「楽しいから」「好きだから」


ただそれだけを理由に筋トレをします。

心と向き合いながら身体を鍛え、来年ボディビルデビューします。紆余曲折あった中でようやくこの答えに辿り着けました。

自分のために好きな筋トレを続け、自分のためにボディビルをやる。

先延ばしの競技者ですが、暖かい目で応援していただけると嬉しく思います。


よし、もう一回走り出そう。


株式会社GOAL-B
トレーニングジムGOAL-B名古屋店
パーソナルトレーナー
梅木遼太郎

”筋トレを辞めます”

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