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映画『白鍵と黒鍵の間に』の音楽について ~魚返明未 Special Interview~


Introduction

ジャズピアニスト、南博の『白鍵と黒鍵の間に』(小学館文庫刊)は、南氏のアメリカのバークリー音楽院留学前の銀座でのクラブ演奏の時代を中心とした回想録だ。

原作文庫版の表紙

在りし日のバブル期の銀座の高級クラブの空気を克明に記載し、また日本のジャズシーンではおなじみのライヴツアー道中の描写は活気に溢れ、面白おかしい。そして、夢に向かって日々葛藤する青年の成長記としても味わえる、様々な魅力が詰まった秀逸な1冊だ。

発刊から15年が経ち、ジャズファンのみならず、幅広い層に支持を受けてきたこの書籍が、『素敵なダイナマイトスキャンダル』、『パンドラの匣』などの作品で知られる、冨永昌敬監督によって映画化された。
主演に池松壮亮、助演陣に仲里依紗森田剛高橋和也クリスタル・ケイ松尾貴史佐野史郎、そして、ジャズサックス奏者の松丸契など、個性豊かな面々が揃っている。
映画オリジナルの設定として、池松が「」と「」という、2人のピアニストを演じ分け、原作者自身が濃密な経験を過ごした銀座の3年半を、一夜の物語として、大胆にアレンジしている。

今回、この注目作の劇中、劇伴音楽、また演奏部分を担当したジャズピアニストの魚返明未(おがえり あみ)氏にインタビュー。

魚返明未

「ジャズ」、そして、そもそも「音楽」が重要な鍵を握る本作の音楽の創作過程などを率直に語ってくれた。

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Chapter 1 音楽ができるまで

-魚返さんは本作の音楽を担当する前にも、映画『栞』(監督:榊原有佑)、『truth〜姦しき弔いの果て〜』(監督:堤幸彦)などで映画音楽を担当されていますが、もともと映画、および映画音楽はお好きですか

映画は好きです。好きと言っても、上には上がいらっしゃいますが(笑)
サントラを日常的に聴くということはあまりないのですが、映画音楽が元になったジャズスタンダードに好きな曲は多いですし、映画を観るときは音楽にも注目しながら観ています。映画音楽って、音楽のアルバムを作るために作曲したものとは違う、面白い音楽が聴けるなと、いつも思っています。

-今回、この映画の音楽を担当することになったキッカケを教えてください

この映画の音楽製作協力者である、APOLLO SOUNDSの阿部淳さんから、ご依頼をいただきました。今まで私が担当してきた映画音楽も阿部さんからのオファーです。
阿部さんは、もともと監督の冨永さんと原作者の南博さんと友人関係なのですが、冨永監督から見て、阿部さんは、音楽関係のことを信頼して、いろいろ相談できる方の1人でもあります(※1)。
原作はオファーをいただいた後に拝読しましたが、今回の映画音楽を担当することになる前に、南さんには何度かお会いしたことがありました。アルトサックスの津上健太さんの「葉緑体」や、ベーシストの伊地知大輔さんの「temp」と、それぞれ私が参加しているバンドのライヴに南さんが聴きに来られたことがあって。それらの演奏を聴いていただけたこともあって、私が音楽を担当することを南さんに了承していただけたのではないでしょうか(笑)

-実際に担当することになって、どのような流れで音楽制作に取りかかっていったのでしょうか

今まで担当した映画音楽は、先に映像を見て作ってきましたが、今回は映画化の企画の最終段階、台本が完成する2〜3個前の時点から参加させていただきました。撮影の半年前に音楽の会議があって、この演奏シーンはこういう音楽にしたい、というような打ち合わせをして、撮影の現場にも実際に立ち会わせていただきました。次に、ある程度映像が出来上がってきてから、演奏シーン以外の劇伴音楽を作っていったので、通常の映画の倍以上の時間をかけて、入念に準備させてもらいました。昨年の4月から動き出し、演奏シーンのレコーディングは8月、映画本編の撮影が11月にスタート、演奏シーン以外の劇伴音楽を今年の2月に作りました。音楽がすごく大事な映画だというのを、初期の段階から強く意識しました。

-冨永監督から、音楽創作にあたって、何か具体的な指示、依頼はあったのでしょうか

冨永監督は、本当に音楽がお好きで、ひとつひとつの選曲、また、取り上げるジャズスタンダードの歌詞の部分に、すごくこだわりを感じました。でも、こちらが映画音楽を作曲するうえで、不自由なことは何もなかったです。冨永監督は以前、菊地成孔さんに音楽を依頼された(※2)こともありますし、どうすればジャズミュージシャンが一番いい環境で仕事ができるのかを熟知されている方だと思います。
ジャズミュージシャンは束縛すると、良さが出にくくなってしまうじゃないですか(笑)
だから、すごく配慮していただいているのを感じましたし、だからこそ自由度も高かったです。監督から指示をいただくよりも、私から質問することの方が多かったです。監督からのリクエストということで強いていえば、当時の時代観を重視しない、ということですかね。例えば、映画の中でデモテープを録るシーンは、80年代の銀座という設定を取っ払って、自由に演奏していいよという指示をいただきました。

-魚返さんと同じくジャズピアニストである南博さんのエッセイを題材にした作品だけに、南さんからの影響含めて、音楽創作で難しい部分があったのではないでしょうか

南さんの演奏スタイル、曲はもちろん知っていましたし、南さんの事を100%取り除いて作るというのは、シュチュエーションとして難しいですが、似せようとしないように心がけました。
幸いだったのは、今回の映画は南さんの自伝をもとにした物語ですけれど、下積み時代の物語であったことかもしれません。南さんが銀座時代にどういう演奏をしていたのか、阿部さんが南さんに聞いてくれたのですが、「あまり覚えてない」という答えだったので、それに近づけるということもしなかったです。
銀座時代より、もっと後の話だったら、南さんの音楽の美学に近づけるような音楽を作ろうとしたかもしれませんが、今回の映画の中での南さんは、銀座から抜け出したいと思っていて、もっと音楽を大きくしていきたい時期のお話で、若手の私にも大いに共感できる話でもありましたから。熟練した音楽家の物語なら、もう少し音楽作りが難しかったかもしれませんね。

通常の映画音楽よりも、ピュアに音楽として楽しめるものを求められるのかなというのは感じました。もちろん南さんのファン、原作のファンが多く見られるだろうし、その期待感も高いので、そういったプレッシャーを多少感じた所はあります。

Chapter 2 劇中のピアノ演奏について

-劇中の、「南」と「博」の演奏は、意識して、
違うようにピアノを弾いたでしょうか

実は「博」の演奏シーンは4ヶ所ほどで、「南」に比べて少ないのですが、「博」が「As Time Goes By」を弾くシーンでは、劇中のお店のバンマスの冨永さんからの説明もあったので、意識的にうるさく演奏しました(笑)

-ついつい張り切って弾いてしまう「博」が微笑ましいシーンでしたね。
では、「南」の先輩ピアニストで、良き理解者である、仲里依紗さん演じる「千香子」の演奏はどのように意識して演奏されましたか

「南」も「千香子」も同じクラブのピアニストなので、特に大きな変化はつけていませんが、千香子のシーンの方がBGM的な演奏になっていると思います。

-確認するために、また観たくなってきました(笑)

Chapter 3 サウンドトラックを彩る“キャスト”たち

-劇伴音楽は、ダークな印象、特にベースが効いたサウンドですね

冨永監督から、ピアノは、この映画の重要な楽器なので、演奏シーン以外は、あまりピアノを使わない音にしてほしいというリクエストがありました。キーボードっぽい音は使っていますけど、ドラム、パーカッション、ベースを中心に作っています。管楽器もないので、そういう音って、ジャズには聴こえるけど、ジャンル不明な音になることが多いと思うんです。だから、即興的にどんなジャンルにも対応できる方にレコーディングをお願いしようと思いました。

-ベースの高橋陸さんの演奏が映画の世界観をよく表していると感じました

高橋陸くんは、この映画のサントラのメインキャストと言える活躍ぶりです。こんなにベースが活躍するサントラって、なかなかないのではないでしょうか。

-確かに劇伴音楽は、ピアノよりも、ベースやドラムス、パーカッションが中心ですが、「Coming Now」は魚返さんらしさを感じる、美しいピアノ演奏が聴けますね

「Coming Now」は、松尾貴史さん演じる熊野会長が登場するシーンで使用された、私としても思い入れのある曲です。サントラの中でジャズとは一番遠い曲かもしれません。
監督からも、この曲作りにはオーダーがありました。熊野会長の厳かな雰囲気をうまく演出できて、そのオーダーにしっかり応えられたかなと思います。本当は「ゴッドファーザー 愛のテーマ」が、このシーンには最高に合うのですが、「ゴッドファーザー 愛のテーマ」は、このシーンではなく、物語の佳境に登場するので、それに準ずる曲として作らなければいけませんでした。作曲家として、やりがいのあるメロディ展開や、好きなハーモニーを入れて作ることができました。

-劇中でクリスタル・ケイさんが歌う曲も、魚返さんは選曲に参加されたのでしょうか

ヴォーカル曲の選曲も、私が参加した撮影前の音楽の会議で、歌詞の内容に考慮しながら決まっていきました。監督がブルースの曲を入れたいということで、ベッシー・スミス(※3)の歌唱で有名な「Nobody Knows You When You're Down and Out」が採用されています。私の推測ですが、監督は当時の銀座との対比を作るために、この曲を選曲したのではないかと思っています。

-クリスタル・ケイさんの劇中での素晴らしい歌唱も、この映画の印象深い点です。劇中歌のレコーディングについては、どのようにおこなわれたのでしょうか

今回、事前にバックトラックを録音した後に、クリスタルさんに、別の日にそのトラックに合わせてレコーディングをしてもらいました。
ヴォーカリストのEri Liao(エリ・リャオ)さんに事前に素晴らしい仮歌をいれていただきました。Eri Liaoさんは仮歌の際に私たちと、実際にコミュニケーションを取りながら録音したので、そのトラックのクオリティも、とても良いものになりました。
Eriさんには、クリスタルさんとの事前の打ち合わせにも来てもらいました。その際、クリスタルさんに歌ってもらう曲目の紹介と、もしクリスタルさんが歌うにあたって、何か聞きたいこと、わからないことがあれば、Eriさんへ質問してもらうということになっていたのですが、特に指導の必要はなかったですね。クリスタルさんは、ジャズのレコーディングの機会はあまりない方だと思うんですが、Eri Liaoさんの素晴らしい仮歌のおかげで、クリスタルさんが曲のイメージを捉えやすかったのもあると思います。また、その場で何曲かクリスタルさんに歌っていただいたのですが、とても素晴らしいシンガーだと改めて感じました。

-松丸契さん演じる「K助」と池松さん演じる「南」のゴミ捨て場でのセッションのシーンも強く印象に残っています。あのシーンの演奏はどのように作り上げていったのでしょうか

撮影前に映画用のレコーディングでも他のシーンの音と同じタイミングで、このシーンの仮の演奏を松丸君と録音しました。何パターンか録って、監督にも意見を聞いて、打ち合わせというほど緻密ではないですが、方向性を確認しながら臨みましたね。

-そして、この迫真のセッションの後に、まさか、この映画の劇中で「ズンドコ節」を聴くことになるとは思いもしませんでした(笑)

「ズンドコ節」も私がアレンジ、まぁアレンジというほどでもないですが(笑)、演奏と共に担当しています。実は「ズンドコ節」が今回の映画のレコーディングの最初の楽曲でした。松丸君や、ギターの鈴木大輔さんが細かいフレーズを練習している様子など、ジャズミュージシャンがみんなで集まって、歌謡曲の練習を一生懸命にしている姿が面白かったです。サウンドチェックの時に、みんな笑ってしまって、まともに演奏できなかったのを覚えています。
松尾貴史さんの役に入りきった歌も、とても面白かったです。

今回のサントラ制作では、私が普段からよく共に演奏している、素晴らしいミュージシャンの方々との共同作業で音楽を作ることができました。
ジャズの現場と同じような感覚でコミュニケーションを取りながら作れたのは、とても楽しく、有意義で貴重な時間でした。参加してくれたミュージシャンの方々に改めて感謝しています。

映画『白鍵と黒鍵の間に』演奏者クレジット

〈劇中音楽〉
魚返明未(Piano,Keyboard、編曲)
松丸契(Sax)
鈴木大輔(Guitar、ギター指導応援)
高橋陸(Bass)
中村海斗(Drums)
鈴木梨花子(Percussion)

南博鈴木結花橋本堅登池松壮亮(Piano)

手島甫…ベース指導応援

〈劇伴音楽〉
魚返明未(Piano,Keyboard)
高橋陸(Bass)
中北裕子(Percussion)
斉藤良(Drums)

南博(Piano)
・エンディング曲「Nonchalant」ピアノ&口笛

Chapter 4 池松壮亮さんについて


-池松さんご自身が劇中で実際にピアノ演奏されているのも話題ですが、池松さんのピアノ演奏のレッスンも魚返さんが担当されたのでしょうか

レッスンは友人のピアニストの鈴木結花さんに依頼しました。池松さんは週に1~2回のレッスンを半年間続けられたそうです。
撮影前の一番最初の打ち合わせで池松さんとお会いして、その時に、私がアレンジした「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を弾いて、音のイメージを確認していただきました。あと、レコーディングの現場にも来ていただいたのですが、役作りのために、ジャズ演奏のイメージを膨らませていたのかもしれませんね。

-池松さんとお話する機会があったと思いますが、どのような印象を持たれましたか

池松さんは、撮影現場に映画畑じゃない人がいるという認識をしていただいたうえで、私と話してくれていたと思います。主演でお忙しいのに、撮影の合間に池松さんの方から、声をかけてくださって。
「緊張感のある現場ですけど、寛いでくださいね」とおっしゃってくださいました。その時は、池松さんというより、「南」いや、「博」だったかな、どちらかの役に入っている状態で話しかけてくれたとは思いますけど。凄く落ち着いた、イメージしていた通りの方でしたね。

-実際に、池松さんが「ゴッドファーザー 愛のテーマ」を弾いたテイクが使われていますが、そのテイクを採用した時のエピソードを教えてください

正直、あそこまで弾けるとは、まったく想像していませんでした。単純にすごいなと思いました。
想像していなかった証拠として、あのシーンの演奏の音、現場の音そのもの、セリフとかを録るマイクで録った音です。それぐらい、誰も予期していなかった。これだけ弾けるのがわかっていたら、スタジオで事前に録音もしたと思います。だから、実際に現場で聴いて、これは使わないともったいないと思いました。池松さんも、ご自身の演奏がそのまま使われるとは、思っていなかったと思います(笑)


Chapter 5 「Nonchalant」

-完成した映画を観た感想を教えてください

細かいスパンで随時チェックしていたので、いつを持って完成というのかは難しいですが、最終チェック段階の状態の物を観た時に、特殊な映画の設定も相まって、なるほど、こういう事になっていたのか、すごく面白い映画だなと思いましたし、音楽を切り取る感覚が素晴らしいとも思いました。レコーディングはジャムっぽい、雑多な内容が多かったのですが(笑)、うまく使っていただけたなと思いました。

今までの映画音楽では、映像に色付けしていく立ち位置が多かったですが、本作は音楽を題材にした映画なので、自分の音楽を、より明確に表現できたと思いますし、最初に音楽を作ってから、それに合わせて映像を撮っていくという経験は、なかなかできることではないので、深く作品に携わらせてもらったなと感慨深いものがありました。

-映画の中で重要なキーワードである、「Nonchalant」(ノンシャラント)については、どういう風に捉えて音楽を作りましたか

南さんの下済み時代が題材なので、あえて、「Nonchalant」ではない演奏を意識しました。
ジャズは普段から、「Nonchalant」な音楽でもありますが、この映画だと、全体の演奏が「Nonchalant」になってしまうと、成り立たなくなってしまうので。
映画の中で、南さんの先生の宅見先生の演奏、あとエンディング曲の南さんのオリジナル曲「Nonchalant」を南さんが弾いていますが、それが「Nonchalant」を体現していますし。

エンドロールで南さんの「Nonchalant」を聴いて、あぁ、なるほど、この映画は、これを聴かせるためにある時間なのではないかなと感じて、スッキリしました。

-最後に、これから、この映画を観る方へのメッセージをお願いします

心地良い非日常が味わえる、美しい映画だと思います。そして、池松さんの「ゴッドファーザー 愛のテーマ」の演奏は本当に絶品です。映画館の音響で、ぜひお楽しみください!

※1
本作に出演している松丸契が参加するバンド、「SMTK」はAPOLLO SOUNDSから音源をリリースしており、「SMTK」の「Headhunters (feat.Dos Monos」のミュージックビデオの監督を冨永氏が務めている。

※2
冨永監督の2018年作『素敵なダイナマイトスキャンダル』で、菊地成孔と小田朋美が音楽を担当している。

※3
ベッシー・スミス(1894年4月15日 - 1937年9月26日)
アメリカのブルースシンガー。
「ブルースの女帝」と称され、1930年代に最も人気のある女性ブルースシンガーの1人だった。
ルイ・アームストロングとも共演し、後のビリー・ホリデイなどのジャズシンガーにも多大な影響を与えた。

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Ending

実在のジャズピアニストの自伝エッセイを題材とした映画の音楽という、難易度の高い創作活動に取り組み、見事にその重責を果たした魚返。
今後、さらなる活躍が期待されているが、今年の8月に、この映画のサウンドトラックにも参加した高橋陸、中村海斗とのトリオで、ニューアルバムの録音を終えているという。
来年4月にリリース予定、そのリリースツアーも5月
以降に予定しているそうなので、全国各地で、この映画を彩った才気溢れる面々の演奏を間近で聴ける機会が増えそうだ。その続報も楽しみに待ちたい。

インタビュー・編集:小島良太

関連情報

映画『白鍵と黒鍵の間に』公式サイト

映画『白鍵と黒鍵の間に』オリジナルサウンドトラック


魚返明未 ライヴスケジュール

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