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セブ島で過ごす誕生日前日。1年の振り返り

こんにちは。
現在フィリピンのセブ島の貧困支援NGOでインターンをしている、武蔵野大学アントレプレナーシップ学部4年の清水涼太です!
去年の8月8日は多分第一回のemotionのライブに行ってました。
それが今ではこんなに大きくなって… すごいですね
継続は力なりと強く思いますし、EMC生がなかなかできない「継続」ができてるのはすごいなと強く思います。

さて、今はセブ時間で8月7日。最後の21歳。1年間を振り返ります。

8月〜9月: セブ島と海外での新鮮な体験

去年の8月と9月はセブ島で語学学校で英語を学ぶ日々を過ごしました。
この期間は非常に充実していて、すべてが新鮮でした。英語力も大きく伸び、セブに住んでいるグローバルアントレプレナーのお話を聞きながら、「海外で働く」ということのTipsを学びました。

海外の友達もたくさんできました!

その間には今につながる貧困層との出会いもあり、今フィリピンで活動をしている原体験につながりました。その後マレーシア、シンガポールで初めての1人海外旅行をして、新しい視点や多くの情報を得て、世界って広い!面白そう!と純粋に思いました。

マレーシアでお金がなくて困ってたらこのおじ様がご飯奢ってくれました。
海外は広い!優しい!面白い!

10月: 暗黒期の始まり

10月からは暗黒期が始まりました。
海外に行って世界の広さを知った私。
じゃあこれからどうするの?
将来についてモヤモヤし、一度就職活動を試みたものの、自分が何をしたいのかがわからなくなりました。自己分析もしないまま、物事を適当に進め、その間3年間続けた学園祭実行委員会も終了しました。

11月: 自問自答の季節

11月には「このままでいいのか?」という疑問が湧き上がりました。地方創生するんだかコンサルとか商社とかテンプレの道に進むのか。
そのころは同級生があの夏を取り戻せPJで甲子園で活躍しているのを見て、焦りと自分はどうしていきたいのか?と強く悩むようになりました。
そこでEMC教授の西舘さんに「自己分析を本気でしたほうがいい」とアドバイスをいただき、11月から自己分析の鬼と化していきました。

大武はカッコ良すぎました。

12月: 自己分析のせいで、超暗黒期に

12月にかけては、さらに深い暗黒期に入りました。自己分析ばかりして、「自分は何者なのか?」と自問し続けました。ホワイトボードに自分の思考を書き続けました。しかし自己分析すればするほど自分が大っ嫌いになっていきました。
・自分は何のためにEMCに来たのか。
・結局地方創生は本気でしたいのか。
・自分が本気で取り組みたいことは何か。
・フィリピンで活動したいと言っているけど、それってただの逃げじゃないの?
・そもそも何で挑戦しているのか…

毎日毎日寮で3期生を捕まえては自己分析のお手伝いをしてもらい、EMCベースでは友人を捕まえて自己分析を一緒にしたり。一時期寮のホワイトボードの9割は自分の自己分析のボードでした。PJの授業での岩佐さんの「自分で時を作れ!」という言葉が心に刺さりました。

1日のほぼほぼ自己分析生活。きつかった。

そこで自分はやっと1つの決断をすることができました。
「1年間休学をして、フィリピンで活動する!」
こちらを武蔵野バレーで発表した後は、何か自分の中で1つ大きな糸が吹っ切れた気がしました。
正直、この3ヶ月は自己分析しかしていなかったため、無駄だったんじゃね?という意見もあり、賛否両論の時期でしたが、自分では後悔していません。
そうじゃないと今セブでこの文章を書けていませんし。

1〜3月: 能登への訪問と決意

1月に起きた地震で、自分と納田は「わかものと」を立ち上げました。

そして1月から3月はずっと能登を訪れました。その際能登に居続けるという選択肢もできたはずですが、自分の軸は変わりませんでした。
よりフィリピンに行く決意が固まった気もします。
そんな中でも能登の人たちは「いつでも能登おいでね!」と言ってくれましたし、戻って来れる場所があるという勇気を与えてくれる場所の大切さを知りました。
挑戦する時に、帰る故郷があるというのはとても嬉しいですし、より挑戦しやすくなりますよね。


森本さんは「いつでも帰っておいで!」と。嬉しい限りです。

3月: フィリピン再訪

3月にはずっと歴任していた寮長を辞めました。暗黒期も楽しい時期も一緒に過ごした寮がなければ今フィリピンにはいないでしょう。最高の寮生活でした。

この多目的も懐かしい!

そしてここセブ島に再び訪れました。
最初はEMCスタディツアーということでEMC生がたくさんセブに来てくれていたので、全く寂しくなかったんですが最後みんなが帰る3月16日には私は1人セブ島で寂しくて泣いてしまっていました。これから約1年間生きていけるのかと。
その帰りの際、同行してくださった教授の寺田さんに言われた大切な気づきもあります。
「自由と責任」です。
このEMCスタディーツアーでは自分は正直まだ旅行者気分でした。友達と一緒にいましたし、教授の皆さんに頼りっきりなところが多くありました。
その際、寺田さんから「もし今後1年間セブにいるのなら、ビジネスマンとしての責任を自覚すべき。旅行者は終わりだ。」というお言葉は自分に深く突き刺さりましたし、今でも毎日出勤する前には意識するようにしています。

スタツアに参加してくれたEMC生のみんな

3月半ば〜6月中旬: 「帰りたい」日々

3月半ばから6月中旬までは、「帰りたい」が口癖になりました。朝起きて帰りたい。夜寝る前も帰りたいと思う日々でした。
初めての一人暮らしに対する不安もありましたし、そのうちの9割は金銭的なものでした。
とにかくこの日々は貧困と飢餓との戦いでした。
腹が減りすぎて、ご飯と水を飲み、よく噛むという戦時中のような生活も経験しました。料理をしたり、家計簿をつけたりすることで生活の自立はできたのは良かったですが。しかも英語は全然通じずでしたし。空港や飛行機を見る度に帰りたい気持ちが強かったです。その間でも、セブでは多くの人と知り合うことができました。

6月中旬: 経済的な安定

「帰りたい」という気持ちが収まったのは、収入源ができたからでした。貧困脱出もできましたし、自己マネジメント力が付きましたが、フィリピンに来たのにこの生活力を高めるというところに重きを置いてしまったのは、本来すべきだったことやタスクがあったはずです。それをやる時間を無駄にしてしまったかもしれません。しかし学びという面で見ると、毎日が新しいことには変わりありません。いろんな学びがたくさん得られました。

6月中旬〜7月: 貧困脱却とたくさんの人がセブに!

6月中旬から7月には、収入源が安定し、親のサポートもいただくことができ、貧困から脱却しました。しかし、この時期はいい感じにセブに慣れてしまって時間を無駄にしてしまったかもしれません。毎日がルーティン化してしまいました。
その毎日のルーティンを打破するように、7月後半には、家族や友達、EMC生、教員の岩佐さん、秋元さんなどたくさんのお知り合いがフィリピンに来てくださり、現在も妹が来たりとたくさんの方々がセブに来てくださっています!


21歳の一年間は、多くの試練と学びが詰まった期間でした。

22歳の目標!

1.自分だけにしか描けない進路!

就職でも起業でも、自分の納得がいく進路選択をする!

2.Go Global,More Local !

いろんな海外の地域・地方に行く、友達を作る!同じくらい日本をたくさん知って、もっといろんな地方に行き、文化や伝統を知る!
英語も頑張りたい!

3.貧困脱出!

自分の事業を持続可能な収入源にする!お金を稼ぎます。当たり前なこと!

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