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生きてるだけで精いっぱい

季節に問わず、ベージュのカーテンから差し込む光に誘われて、目が覚める毎日を過ごしている。日々の暮らしのなかで、あれも伝えたいとか、これも伝えたいみたいな感じで、いろいろな思考を巡らせているのだれど、現実はなかなかうまくいかないものだ。

朝、目が覚めて、ご飯を食べる。仕事をして、その合間にご飯を食べてまた仕事。それが終わったらまたご飯を食べて、疲れ切った体をベッドのなかに忍び込ませるの繰り返し。会社員の頃と比べると独立してからのこの成果値は仕事とプライベートの境目がなくなった。独立してからの4年間、休みの取り方もうまくならないし、不安があるのか、気がつくと、PCをひらいてしまうよう。生産的かつ丁寧が理想、現実は生産性とは程遠く、そのどれもが丁寧ではない。

人生は劇場みたいなで、どんな配役を選ぶかは自由に選んでいい。自分で選んだはずなのに、演じることに疲れてしまう日ばかりを過ごしている。生きてるだけで精いっぱいだと思う日がたくさんあって、いや、むしろそんな日ばかりだ。どんな1日も精いっぱい生きてる。もっとやれたと思いはするものの、明日を生きる余力を残しておきたいに負けてばかりの日々。自分を甘やかした方がいいと聴いたけれど、少々甘やかし過ぎているのかもしれない。

小さい頃と比べると、疲れが溜まりやすい体になった。どれだけ早く眠りについたとしても、体のどこかが痛いまま。筋肉痛が来るのは遅くなったし、体のコンディションが万全だと言える日が1日もない。あの頃は若かっただなんて口が裂けても言いたくないけれど、もうそんなことを言う余裕がないぐらいには体の疲れが取れなくなった。

人に優しくしたいけれど、自分に余裕がない日は優しくできない。そんな自分に嫌気が差しては、同じ過ちをずっと繰り返している。学びがないといえばそれは事実で、そんなことを言ってる余裕がないも事実だ。うまく生きるために、自分を守りたいし、本音は生きるだけで精いっぱいだ。

自分に余裕がなくなるたびに、海が見たくなる。広大な海を見て、悩みの小ささに気づく。そして、また頑張るかと自分を奮い立たせるのだけれど、満タンまで給油したはずのエンジンは3日ともたない。

今日も今日とて文章を書いている。文章を書く理由は何かを伝えたいから。日々の暮らしのなかに伝えたい言葉がたくさん落ちているのに、余裕がないばかりに見落としてばかりの日々 なんて伝える熱量があればあるほど、それは顕著に行動に現れるもので、そもそも伝えたい言葉すら出てこない僕は、本当は伝えたいことなんてないのかもしれない。今日も生きてるだけで精いっぱい。そんな日々ばかりを過ごしている。

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