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乾き

ある日、上司から「そろそろもう少し上の階級を目指してみないか」と言われた。「責任を持つのが怖いです」と返すと、「仕事に責任はつきものだ」と返ってきた。至極真っ当な意見である。だが、責任を負ってでもしたいと思える魅力が今の職場にはない。心の奥底から出た本音は決まって相手を傷つける。上司が投げつけるように言ったあの言葉には、思うようにならない苛立ちと焦りが立ち込めていた。

社会の駒となった自らを会社に捧げる。年齢が上がるたびに、必要なお金も増える。だが、僕には今の会社で上に上り詰めることが自分に必要だと到底思えなかった。社会に出た途端に、責任を求められる。責任と自由はセットだと世間ではよく言われているが、今の生活のどこに自由があるのだろうか。毎日残業をして、帰るのは終電間際。たまに休日出勤もあって、休みの日は泥になったかのようにただ眠る。それでも鉛のような疲れがほとんど取れない。このような生活がずっと続けば、きっと精神がおかしくなる未来が見えている。

役職が上がれば給料も上がるが、のしかかる責任も増える。自由と責任がセットではなく、責任とお金がセットなのかもしれない。責任を放棄した人から順に自由になっていく様をこの目で何度も見てきた。退職者は自由を手に入れ、また別の責任を自らの手で取りに行く。会社を退職する人が出るたびに、「今の若者はすぐに転職する。うちで耐えられないようじゃどこに行っても通用しない」と上司が言う。他の会社に行っても通用しないのはお前だろ。喉元まで出かけた言葉をいつも強引に引っ込めている。

役職に就けば今よりマシな飯が食えることは確かだ。現状は会社に自由がほとんど奪われている。今よりも上を目指せば、お金だけが貯まり、時間だけが消費されていくことは子どもでもわかることだ。疲れ切った頭で物事を考えるのは良くないと思う。頭の中に熱い何かが常に帯びていて、思考が入る隙がない。ドロドロした感情にそれが相まって、出る結論はいつだって後ろ向きなものばかりだ。

SNSを見ると自分の好きなことを仕事にしている人をたくさん見かける。でも、現実世界に好きなことで生きている人はほとんどいない。たくさんいるように見えるだけで、SNSという狭い世界の中にたくさんいるに過ぎないのだ。夢を叶えられるのはほんの一握りで、栄光の裏で散っていた人をこれまにたくさん見てきたのも事実だ。

では、堅実な生活を送るために必要なのは一体なんだ。周りの人たちがどんどん結婚して、家族を築いていく。やれ出産、やれマイホーム。順風まん風に見える彼らの暮らしがずっと眩しく見える。自分もあちら側に行きたいとは思うものの、それは本心なのだろうか。挑戦したいことがたくさんある。それは今の会社ではk実現できないからこそ、役職についている場合ではない。

毎日のように終電間際の列車に揺られている。スーツを着た人は酒に酔っているか、死にそうな顔をしているかのどちらかだ。前者の人からすれば、僕は今にも死にそうな顔をしているように見えるに違いない。鏡に映る自分のクマが酷すぎて、こんなはずじゃなかったばかりが襲い掛かってきた。

鏡に映る自分から幼少期の頃の記憶が断片的に蘇ってくる。サッカー選手になるはずだった。高校生に上がる時に受けたセレクションは見事に惨敗で、自分とプロになりゆく人の差をまんまと見せつけられた。日本は当時弱かった。世界との差は歴然で、そんな日本でもプロになれない自分が情けなくて仕方なかったため、親に買ってもらったサッカーボールを燃やした。

夢を諦めたあの日から抜け殻のような人生を送っている。色とりどりだった世界がモノクロに変わり、何をしても、この体が乾きを取り戻すことがなかった。今はしがない中小企業で終電間際まで働いている。自分の人生に意味を探すようになったら終わりとおばあちゃんが言っていた。その言葉が事実ならば、僕の人生は高校生の時に終わっている。誰かかが悪いわけでもない。自分のせいでしかないこの現状が憎くてたまらない。

結婚すれば人生が変わると既婚者の友人が言っていた。結婚願望がないわけではないが、ずっと婚期を逃している。それなりにモテてきたため、恋人がいない期間はなかった。結婚は狂っている時にしかできないと別の既婚者の友人が言った。恋は盲目らしいが、いつだって冷静沈着に物事を見ているため、とてもじゃないけれど、狂ったような恋ができない。この人と一生一緒にいられるかと自問自答する。返ってくる答えは決まって無理だ。恋愛とはどれだけ許しあえるかが重要である。でも、器量の小さい僕には相手を許すことができない。

会社に出勤して、終電間際になるまで働いて本日のタスクが終わるのをただ待つ日々。夢を持てと言う方が無理で、夢を捨てる方が遥かに簡単だ。夢も希望もないけれど、それでも自分のために生きたいと思う。役職に就くことが自由を奪われることと同義ならば、せめて拒否できる自分でありたい。たとえ上司に文句を言われようが、自分が決めたことはきちんと貫き通す。中途半端な覚悟でやりたくないし、かといって腹を括りたいわけでもない。味気なのない日々の中で。いつか世界が彩りを取り戻す日をずっと待っている。自分で自分の首を絞めるのではなく、マッサージをするように生きていく。それが最大限の抵抗であり、自身にできることだ。

たとえハッピーエンドが待ち受けておらず、茨の道ばかりだったとしても幼少期にあったはずの乾きを取り戻すまではもがいていたい。たとえ後悔だらけの人生になったとしてもだ。


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