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好きなものに触れる瞬間とたくさん出会うために、生きていると言っても過言ではない

「人生は旅だ」と、よく人は言う。旅とは終わりがあるもので、どこに行くかは自身が自由に決められるものだ。楽しい旅をしてもいいし、過酷な旅をしてもいい。すべては自由自在で、誰かに愛されるも愛されないも、幸か不幸かも自分で選んでいるとどこかで聞いた。

最近、どんな旅がしたいかをよく考える。もちろんいいことだけが起こればいいと願うけれど、それは叶わない。でも、嫌な出来事は楽しい出来事をより深く味わうことができるスパイスだから、両方ともちゃんと起こってほしいと思っている。成長に焦点を合わせる旅をしたいときもあれば、海や川をぼんやり眺めてのんびりする旅がしたいときもあって、それは全て気分によって左右されているものだ。

「そろそろ安定しなよ」と、たくさんの人に言われてきた。26歳で独立して、いまもずっと安定しない職に就き続けているため、心配になるのも無理はない。収入の不安定さは精神にも良くないとは思っているけれど、そこに程よい焦りを感じている自分もいる。

「安定」は安く定まると書くが、現状維持とも呼ばれている。現状維持はもはや後退らしい、後退も何も生きているだけで歳を取るんだから、前身じゃんと思うのだけれど、これについては長ったらしくなりそうなので割愛する。その場に留まるだけじゃただの現状維持。現状維持は想像以上に体力を要するもので、想像以上に努力が必要だし、何かを守るために、現状維持を試みる人は全員かっこいいと思う。

最近とある女性に会った。「人は自分の見方次第で人生を変えられる」と言っていた。続けて「人間はどうせ死ぬんだから死にたいと思って生きるのは損。与えられた命を楽しく生きるために使いたい」と言っていた。

たしかに世界は自分の見方次第で大きく変わるし、どうせなら楽しいが多い方がいい。誰かが苦しいと思う場面も、誰かにとっては成長のチャンスで、誰かの最低は誰かの最高になりうるものだ。目に見えるものは。自分の意識によって映し出されているものに過ぎない。

自身の生活を振り返ると、過酷なこともたくさんあったけれど、いまの自分がいるのは過去があるのだ。でも、同時に自分の過去まで愛せないと思った。自分の人生を丸ごと愛せる人はすごいと思う。僕には到底過去の自分を愛することはできない。感謝はしているし、人生をトータルで見たときに、自分をちゃんと愛していると胸を張って言えるから、もうそれでいいそれでいいとさえ思っている、

何も知らなくて幸せだった少年時代。社会の厳しさを知って、一度絶望した中高時代。自分探しをしたモラトリアム期。孤独との向き合い方を知るために登った大人の階段。いろんな時期を経験して、また人生迷子になっているんだけれど、そんな旅も悪くないと思えたら万々歳である。

もしかしたら人生という旅は、自分探しをする旅ではなく、一生付き合うであろう自分を愛する理由をたくさん見つけるものなのかもしれない。難しいことはよくわからないけれど、好きな人が目の前で笑ってくれたら十分幸せだし、そのほかにも好きな映画に出会うとか、好きな本に出会うとか、好きなものにたくさん触れる瞬間に出会うために、生きていたい。

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