『マイ・ブロークン・マリコ』は残酷な現実に放たれた一縷の希望の物語だった
人生とは奇妙なほどに残酷で、時折美しさを見せるものだ。幸か不幸か、どこに生まれるかは自分で選べない。一切の苦労をせずに平凡な幸せを営む人もいれば、生まれてくる場所を間違えたと思うほどに残酷な仕打ちが待ち受けている人もいる。幸いにも『マイ・ブロークン・マリコ』を観終えた瞬間の空は明るかった。もしも夜に本作を観ていたらと考えるだけで、居た堪れない気持ちになる。
痛みが心を支配する瞬間と出会った覚えはあるだろうか。一生拭えない後悔と出会った覚えはあるだろうか。マリコが体験した絶望やシイノが出会った喪失感は、きっと現実世界にも存在するのだろう。『マイ・ブロークン・マリコ』は残酷な現実の中に一縷の希望を見出す誰かにとって救いのある物語だった。
幼少期から虐待を受け続けた奈緒演じるマリコの死を、定食屋さんでご飯を食べているときにニュースで知った永野芽郁演じるシイノ。ブラック企業に勤め、人生に希望を見出せないシイノと虐待を受けた経験があるマリコの2人は、それぞれを心の拠り所にしていた。人生とは期待に応えられると裏切りの連続だ。信じたと思っていたものが呆気なく消え去る場合もあれば、期待に応えられてしまうことによる恐怖心と安堵感がある。人は失敗と成長を繰り返しながら生きていくはずが、心の喪失がマリコの成長を止めてしまった。
親友の死の経験から後悔に苛まれ、今からでも何かできることはないかと足を動かしたシイノ。初めてのバイトで稼いだお金で買ったカビまみれのドクターマーチンを履いて、マリコが行きたいと言っていた海へ足を運ぶ。どこにいても、マリコとの思い出がシイノの心から消えずに現れる。まるでマリコが生きているかのような演出。少しずつ年を重ねていく彼女たちの物語は、もう2度と戻らない現実でもあり、1人の男性がそこに灯火をつけた。
道中で出会ったひったくりによって、マリコの骨以外のすべてを失ったシイノ。運命に引き寄せられるかのように、偶然現れる窪田正孝演じるマキオ。彼の出現によってシイノは救われたが、それは終わらせようとした命が少し生き永らえただけだったのかもしれないとさえ思った。マキオは半年前に命を投げようとした当事者である。どんな過去があったかは描かれなかった。自分にできることを必死に模索した結果、他人のためにできる何かを考えて、シイノに手を差し伸べたのかもしれない。
いつしかマリコは自分が幸せになる未来が見えなくなっていた。自分が不幸になるのは当たり前。どん底を味わった者は、2種類に分かれる。自身の運命を受け入れて前を向いて生きていく者と、ずっと過去に囚われたまま前に進めない者である。マリコは幸せになる方法が分からない後者の女性だった。幸せとは難しいものではなく、自分が幸せだと思えば簡単になれるものだが、マリコはどん底から這い上がる方法が最後までわからなかった。もしかしたらマリコは死によって幸せになれると思っていたのかもしれない。なんて、それを知る手段はどこにも残されていないのだけれど。
かつてマリコと付き合った男性は、別れ際に「ゴミムシ」と言い放った。いい人だったと言ったマリコに「本当にいい人だったらゴミムシなんて言わない」とシイノが告げる。人の本性は別れ際に出るものだ。いい人ではない男性と別れて正解だったと思った。
幸せになる方法がわからないマリコが唯一安心できた場所がある。シイノといるときだけは何かに苦しめられる不安がないとも言っていた。他人にしか幸せを見出せないマリコ。でも、そんな人間はいくらでもいる。かつて僕自身も他人にしか幸せを見出せなかった人間だった。
シイノは自分の人生を終わらせるために海へ足を運んだ。マリコとの回想を終えた瞬間に1人の女性の叫び声が鳴り響く。シイノは襲われそうになっている女性の中に、かつて助けられなかったマリコを見出して、マリコの遺骨で男を殴って助ける。命を投げ出そうとしたシイノは、マリコを助けることができた事実に、光を見出せたのだろうか。でも、その真意は描かれない。
自死をするはずが人助けをしただけでなく、シイノは生き永らえてしまった。マリコはなぜ死んでしまったのか。死人の本意は誰にも分からない。自宅に戻ったシイノに一通の手紙が届く。マリコがシイノに最後に残した手紙である。でも、結局手紙の内容は明かされないままエンディングへと突入する。これはきっと「死人の真意は誰にもわからない」というメッセージなのだろう。
死んだあとに天国があるとか、自殺をした場合は地獄に向かうとか、死んだ後の世界など誰にもわからないものだ。同時にマリコの真意はシイノはおろか神様にも知る由がない。死んでしまったらもう2度と故人とは会えない。そして、自分の脳内に残された思い出を思い出すことでしか、故人が生きていた事実は残せないのだろう。人間の脳は少しずつ衰えていく。2人で過ごした思い出もいつか色褪せる。現実とは残酷なもので、自身が成長したとしても、故人の容姿に成長はない。退化の可能性はあるのに、成長の可能性も一緒に思い出を作れる可能性もないのは、辛くとも受け入れないければならない現実だ。
生きていればいいことがあるなんて、簡単に口走ってはならないのかもしれないとさえ思える。幸せになりたくてもなれない人がいるのは現実世界にもきっとたくさんいて、生まれや育ちによって人の運命は簡単に変わるものだ。死ぬこと以外はかすり傷という言葉は嘘だ。かすり傷が致命傷になる可能性は誰にも否定できない。当人に刷り込まれた傷は一生消えることなく、人生を蝕んでいく。幸せになるのは自分が許可を下せるかどうかだなんて、そんな綺麗事が通用しない世界もある。自分が見たものがすべて現実になるだけで、相手が見た世界を投影することはできない。
マリコは死によって救われたのだろうか。それすらもわからない。生きていた世界よりも、色鮮やかな世界が待ち受けていてほしいとしか願えない無力さ。幸いにも、本作を観終えた後の空は明るかった。死を美化せずに、残酷な現実として受け止める。一生拭えないであろう後悔を胸に生き続けるしか道は残されていない。それでもどこかに光はあると信じて生きていく。『マイ・ブロークン・マリコ』は人は人によって救われるし、絶望に苛まれる可能性もあると教えてくれた2人の女性の美しくて、残酷な物語だった。
©️2022映画「マイ・ブロークン・マリコ」製作委員会
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