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ハッピーバースデー

夏は、2人が恋人になった季節だ。あらゆる試練を共に乗り超えた結果、2人は運命を盲目的に信じていた。きっと、これが最後の恋。そう信じていた恋は最後にはならなくて、結局振り出しに戻った。

花火が上がる。大きな音を上げたその玉は勢いを上げて光を放つ。手を握りながら見たあの日々とは打って変わって、私たちは距離を置いて花火を見ていた。きっと今日で終わる。そう直感が言う。またしても君も私も真実の愛を手に入れられなかった。君のくちづけ。言葉を超える体温。何が言いたいかはもうわかってる。だから、私は君の口づけを拒むことをせず、ただただ受け入れた。

すべての出会いは必然で、いずれやって来る別れも必然で。終わった恋に想いを寄せても、関係は修復することなく、ただ時間だけが過ぎていく。どれだけ後悔しても、涙を流したとて、その事実は揺るがない。煙草を蒸した数だけ虚しさが集り、吐息の数だけ絶望はやって来る。2人の関係は破綻した。そんな簡単な事実をまだ受け入れられずにいる私は、いつまでたっても強くなれない。

***

君とお別れしてから約2年がたった。あの頃は良かったと心から思うし。今もなお戻りたいと思う。2年も年月が過ぎたというのに、私にはまだ恋人ができないまま。何人かとお付き合いしたけれど、あらゆる瞬間に君の面影が頭を過ぎる。君以上の男なんてどこに存在しない。それに私の綺麗になった姿を見せたいのはまだ君のままだ。君がいないのであれば、綺麗になる努力も必要もないし、生きる意味だってないのだろう。君との失恋によって、私の心は死んだ。死んだのだ。

1度死んだ人間に生きる意味なんてない。生きる目標を見つけなさいというアドバイスは死人には効果がないし、かえって逆効果だ。そのアドバイスは漆黒へと誘う罠であり、狡猾なトリックなのである。たった1つの恋を失っっただけで、私の心は呆気なく死んだ。これを人は依存と呼ぶ。依存を悪く言う人が多いけれど、人間は絶対に何かに依存している。依存先が多いか少ないかだけの問題であり、少なければ少ないほどにひとつに対する依存度が高くなってしまうのは必然だ。君のために仕事をして、君のために休日を捧げる。いつ呼び出されてもいいようにiPhoneをずっと握りしめていたあの頃の私はなんと無邪気だったのだろう。私のすべてが君だったのに、君のすべては私じゃなかった。それだけが全てだったというのに。

なんてこんな暗い気持ちになってしまうのはいつだって深夜だ。深夜の考え事はむしろ苦しみを増長させるだけと理解している。そのくせつい考え事をしてしまうのが私という弱い人間である。いつもなら隣で眠る君を横目ですやすやと眠りにつけていたのに、いまは肝心の君がもういない。寝つきは最悪。君の面影を探す夜を過ごし、何度ベランダから朝日が昇るさまを見ただろうか。

深夜が好きだ。深夜は街に人がいないし、鳥の鳴き声や蝉のうざったい鳴き声すらない。そして、何よりも私の醜い感情をすべて隠してくれる。深夜の恩恵を受け、隠れてしまった感情に蓋をする人間の気持ちが理解できない。なぜ人は深夜に眠るのだろうか。すべてが明るみになる朝に寝て、夜から活動をした方が、醜い自分を隠さないで済む。でも、朝日が昇った途端に、醜い感情がすべて露わになってしまうため、そこからが地獄のはじまりだ。明るみになった醜い感情は私の心を蝕みはじめる。すぐに眠りにつければ、万事解決なのだが、思い通りにいかないのが人生だ。

人は弱い生き物である。誰もが誰にも話せない自分だけの秘密を抱えている。そして、そこに無神経に触れる人間がいるのも事実だ。優しさのつもりで傷口を抉り取る行為は残虐性がある。弱みにつけ込んで、甘い蜜を啜る人間が嫌いだ。秘密を持った者は些細なことでそれに翻弄され、強がらなくていいときに限って、秘密を誰にも共有できないでいる。抱えた秘密を誰かに話して、2人だけの完全犯罪にする。その手もあるだろう。だがここで問題が発生する。勇気を振り絞って話した秘密を聞き手が誰かに暴露してしまう場合もあるのだ。誰かに触れられる秘密には価値はない。秘密が公に露わになるリスクを背負うぐらいならば、自分だけの秘密にして、死ぬまで墓場に持っていくに限る。

窓の奥で赤が照りつける。気持ちが沈んでいるときに限って、雨が降らない。いっそ涙を雨のせいにしてしまいたいのに、どうしてこうも天気は気が回らないのだろう。1人で呟いた「寂しい」という言葉は誰に届くこともなく、空を切り、呆気なく消えた。オレンジ色した空にただただ彷徨い続ける雲。あんな風に自由になれたらいい。そう願うたびに、自分の滑稽さが目に見える。弱い自分を強い自分に変えたい。そう願うたびに、弱さを強さに変えられない自分に疲弊する。そして、自暴自棄になって、君だけでなく、大切な友人すらも傷つけ続けてきた。

失恋直後に、友人が気を利かせて「他にいい人がいるよ」と言った。なら今すぐにその人を連れてきてよと憤慨した私を前に友人は縮こまっている。私を吐き捨てるような目で見る友人。愛想を尽かしていることが手に取るように分かる。今ならば、気を遣ってくれてありがとうと言えるのに、1人になった今ではその言葉も届かない。

人は1人では生きられないというけれど、1人にならざるを得ない人間だっている。それが私という人間だ。私みたいに人の気持ちがわからない人間は1人になった方が世のためになる。きっとそうに違いない。私は嫌味で粘着質があるくだらない女。誰かが私に手を差し伸べてくれたとしても、私はその寄り添いが優しさだと気づけずに、つい強がってその手を振り払う。誰かを傷つけるぐらいなら1人でいい。そして、誰とも話さずに、暗い森の中でひっそりと息を潜める。

今日は駅で浴衣を着たカップルをたくさん見かけた。どうやら4年ぶりに規制なしの花火大会が開催されるようだ。眩しさを放つ彼らの影に隠れて、私はなんとか家に辿り着いた。いつかの2人を彼らに重ねては、やり切れない思いがこの胸を蝕む。

やがて赤が沈み、空が漆黒に染め上げられていく。そして、花火が上がる音がした。「綺麗だね」と彼の亡霊がそっと囁く。あの日の2人はもうどこにもいない。

ハッピーバースデー、ずっと大好きだったもう会うことがない君へ。


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