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やさしい世界になりますように

世の中には当事者にならないと、わからないことがたくさんある。目が見えなって、目が見えない人の気持ちが痛いほどにわかった。歩けない人の気持ちはわからないけれど、いつか自分が当事者になる可能性は十分にある。当事者以外の人が当事者について語っても、説得力に欠けるだけ。当事者だからこそ、伝えられる言葉があって、そ子に込められた思いはいつだって本物だ。

周りの人がどんどん結婚していく。来月、友人の結婚式に出席する。SNSを眺めていると、そんな人ばかりだ。おめでたいと思う気持ちは本物だけれど、彼らの気持ちは当事者じゃないからわからない。どんな言葉を使っても想像の範疇を超えないし、アドバイスをされたとて、胸に響かず、空を切るだけ。いつか自分も結婚すれば、彼らの気持ちがわかるようになるのかな。

ただひとつ言えることは、彼らの結婚が決まった瞬間に生まれたものは、喜びの感情だ。誰かが幸せになることで、別の誰かが笑顔になる。結婚に限らず、そういった瞬間をもっとたくさん作れたのなら、世界はもっと笑顔で溢れるのかもしれない。

難病になって、目が見えなくなった。自身の現状を知って、手を差し伸べてくれる人もいる。もちろん、目が見える前から手を差し伸べてくれた人もいた。生きづらさを感じる場面はあれど、手を差し伸べてくれる人と出会うたびに、生きづらさが軽減されている感覚がある。

世界はきっとやさしさでできている。誰かにとっての悪人は、誰かにとっての善人だ。自分に見せている顔だけが相手の顔ではない。自分が正しいと思うことはもうすでに暴力で、正しさと正しさがぶつかり合うから、争いが起きるのだろう。

世界が今よりもやさしくなりますように。なんて、願っているだけでは、何にも変わらない。自分がまずはやさしくなって、それが世界に伝播していけばいい。そうやって、やさしさのサイクルを回し続ける。それが例え偽善だと言われようとも、やらない偽善よりやる偽善と言い切る強さを僕は身につけたい。

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