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煌めいて、夏

瞬く間に夏が過ぎてゆく。海や祭り、花火など夏らしいことは何もしていない。誰かがSNSに上げたイベントを楽しむ姿を見て、あ、今日がそのイベントだったんだと世間と己のギャップに驚いている。

毎日のように仕事に励み、気がついたら夏のイベントはほとんど終わっていた。このまま終わらせたくない気持ちはあるけれど、正直今更どうしようもないのも事実だ。そもそもどこかに出かける気力が残っていない。仕事であったり、転職活動であったり、その他諸々毎日何かに追われている。ただ日常を過ごしているだけなのに、埋め尽くされたスケジュールに余白が入る隙がない。予定を作ろうと思えば作るのは可能だけれど、体が休憩を欲している。この欲求に身を任さなければ、自滅の道を歩むのがオチだ。

何かに追われているというのも錯覚に過ぎないのかもしれない。全てが紛い物で、勝手に作られたものだったらどれほど幸せだろうか。勝手に何かに追われている気になって、追いつかれまいと躍起になる。人生は長期マラソンのはずなのに、作り上げられた焦りが己の体を突き動かす。それにも適度な休息が必要なのだけれど、どこにブレーキがついているのかもわからない。ずっと前に進むしかないという錯覚。いつか尽きるであろうガソリン。握りめたハンドルの操縦者の顔は見えないまま。人生は時に後ろを振り返らなければならない。だが、そんな時間があるのであれば、休憩に当てたいものだ。行き場を失った子羊のように周りを彷徨いながら、ああでもない、こうでもないと四苦八苦を繰り返している日々。

瞬く間に夏が過ぎてゆく。この間に自分にできたことは何もない。少しずつ前に進んでいるという手応えは掴んでいるため、未来の種蒔きをしているのだろう。そう思わなければ、あまりにも救われなさすぎる。生きる意味などない。死んだら骨になるだけと理解しながらも、何か爪痕を残したいと躍起になっている。浅はかかつ愚かな人間だ。周りの波に流されながら生きれば、きっとこの息苦しさは生きやすさに姿を変えるのかもしれない。それでもまだ自分の可能性を捨て切れない。自分より優れた人が目の前に現れるたびに、自分はまだこんなもんじゃないと言い聞かせている。そうすることでしか精神を保てないのかもしれない。焦りと嫉妬は自らのエネルギーへと変換していく。すべての物事は都合のいい解釈をしてもいい。己の生きる道ぐらいがお自分で決めたい。それがエゴの塊だと言われても、周りの意見なんてゴミ箱にポイだ。

瞬く間に夏が過ぎてゆく。今のところ納得のいく夏は過ごせていない。だが、これは来夏に向けての種蒔きだ。今夏に植えた花は来年に大きな花を咲かせる。そう信じて、今は自分ができることを最大限にやっていく。煌めいて、夏。窓の向こうには雲一つとしてない青空が広がっていた。

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