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生きてさえいれば

2年半ほど前に、ベーチェット病という難病に罹った。人生が終わったと思った。死にたいとさえ思った。原因は不明、なぜ自分が難病になったのかがわからない。難病とは治し方がわからない病気であり、完治という認識がない。そのため、この先も一生付き合っていく必要があるものだ。

突然の医師の診断に頭の中が真っ白になる。生きたいという願いすらも消えてしまうほどの絶望が自分の元へやってきた。社会復帰を果たすまで、何度眠れない夜を過ごしたことか。これまでの当たり前が奪われた事実を何度も恨んで後悔した。

治療の甲斐もあって社会復帰できたのだけれど、両目ともに白内障に、左目は緑内障を併発。そして、視力は失われた。治療のおかげで失明は防げたのだけれど、現在も日常生活に支障をきたしている。

それでも僕が今を楽しく生きているのは、周りの人に恵まれているためだ。困った時に助けてくれる人がいる。これは当たり前ではないし、僕も彼らが困った時に手を差し伸べられる人間でありたい。僕の人生は誰かによって生かされている。そして、自分の足でちゃんと生きている。

難病がきっかけでsoarさんに自身の生き方を取り上げていただいた。そして、その記事を読んだテレビディレクーの方から、「テレビで取り上げたいです」と連絡が来た。最初は詐欺かもしれないと疑心暗鬼だったのだけれど、とても丁寧なやりとりをしてくださり、ああ、これは本当なのかと思うようになった。そして、5月27日(土)にテレビ東京『生きるを伝える』に無事出演した。

まさか生きている間にテレビに出演するとは思ってもいなかった。テレビは観るものであり、出演するものだと思っている人が大半のはずだ。このようにしてテレビに出演できるのは自身の人生が形になったという証であ理、生きていて良かったと思える瞬間でもあった。

難病になった。人生のどん底を経験した。もしかしたらこれ以上の悲しい出来事が起きるかもしれない。でも、それは人生の終わりではない。残されたものはちゃんとあるし、これから先も手に入れるものもちゃんとある。

そう考えると、現実に絶望して悲観している時間などないのかもしれない。生きてさえいれば素晴らしいものに何度だって出会える。嬉しい、楽しいなどの正の感情だけでなく、怒りや憎しみ、悲しみなどの負の感情も時には芽生えるだろう。でも、それは生きている証拠に他ならない。

それでも前を向いて生きたい。生きてさえいれば出会える嬉しさと何度も出会える。その事実が何よりも嬉しくてありがたい。何回転んだっていい。でも、転んだ先にある未来を輝かしいものにできるかどうかは全て、自分次第なのである。

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