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諦めることを諦める

大人になればできることが増えて、何もかもが思い通りになると思っていた。ところが、できないばかりが露呈する虚しい現実が待ち受けていた。「できない」が「できる」に変わるあの瞬間は、言葉に言い表せない喜びがある。そこに達するまでにはかなりの労力が必要で、うまくいかないが積み重なるたびに、所詮こんなものかと唾を吐きながら生きている。

何者かになれると信じて、ずっと懸命に生きてきた。街の電信柱に貼られた有名人のポスターはお前もこっちに来いよと目を輝かせている。その光景があまりにも眩しすぎて、逃げるようにその場から離れた。彼らに合わせる顔はなく、後ろめたさしか生まれてこない。アーティストのライブは本当にかっこいい。彼らの魂を浴びるあの瞬間は何度でも味わいたいと思わせる魅力がある。ステージに立つのはいつだって主役になれた人だけで、脇役にしか徹することができない僕は観客席から彼らを眺めることしかできなかった。

小学校の卒業文集に「サッカー選手になる」と書いた。できないができるに変わる瞬間が嬉しくて、毎日のように練習を重ねた。夢を追いかけていたあの頃は練習を苦だと思ったことが一度たりともない。ところがプロになれないと現実を突きつけられた瞬間に、絶望のカウントダウンが耳の中に鳴り響いた。数字が0に近づくたびに辞める理由ばかりを探してしまう。プロになれないという厳しい現実から今すぐにでも逃れたい。その一心で僕は卒業文集に高らかに書いた夢を諦めた。

もしかしたら夢を見せる人にはなれないかもしれないと思った。テレビやラジオで活躍する人を眺めては、今の自分の立ち位置がもどかしくなった。道半ばで諦めた夢は大人になった今も胸の中に残り続けている。諦めるとは、苦悩の日々が続く始まりの鐘が鳴らされた瞬間で、それは一生涯鳴り続けるのかもしれない。ありもしない妄想ばかりを膨らませて、都合のいい言い訳ばかりを並べて、そこからいち早く逃れたいと思う自分に背筋がゾッとする。

毎日を必死に生きている自負はある。でも、確かに乗り越えられない壁があった。夢を追いかけていた頃の自分が今の自分を見たらどんな気持ちになるだろうか。きっと悲しみに明け暮れて今すぐにサッカーを辞めてしまうに違いない。絶望的な未来を見せられて、続けられるほどの強さは僕にはない。そしてその後、未来に絶望しながらただ燻り続けるのだろう。

過去に諦めた経験があったからと胸を張れる何かをずっと探し続けている。諦めることを諦めたと言えたならば、どれほど救われるだろうか。ずっと過去の亡霊がこの身を苦しめ続けている。もう2度とあの痛みを味わいたくない。その一心で文章を書き続けている。

文章を書いて生きていく。それは一度諦めた夢である。周りよりも上手い文章を書けない。それが諦める理由になるのは途轍もなくダサいような気がする。今一度自分の文章で勝負したい。この先、書くことが何かに繋がらなくとも、後悔はないと胸を張って言い切れる。諦めることを諦めた。この先が茨の道だったとしても、挑戦したという事実が自分自身を救うはずだ。

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