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消費される心、満たしたい顕示欲

とある会食で「爪が綺麗だね」と褒められた。爪の手入れは念入りにしているため、とても嬉しかった。続けて、「うちの嫁は爪が深爪で女性っ気がない」と嘆いている。その言葉は聞かないフリをしてやり過ごした。自分のパートナーを「嫁」と呼ぶ人をどうも好きになれない。彼らは言葉の意味を理解していないし、無意識のうちに女性を下に見ている。

彼は自分のパートナーが深爪である理由を知っているのだろうか。家事を全てパートナーに任せているかもしれない。それによって本当は爪を伸ばしたいのに、伸ばせない可能性もある。加えて、深爪だろうが、手入れされた爪だろうが、自分のパートナーを貶す言動が許せなかった。

彼は会社の得意先の人で、無碍にはできない。気に入られているからこそ、対応には細心の注意を払っているつもりだ。会社の売上に貢献するためには、彼の機嫌を損ねてはならない。まるで自分が商品であるかのような感覚だ。でも、誰かに頼まれたわけでもない。私自身が勝手にやっていることである。気に入られているから、自分にできることをやりたい。誰かに求められることは幸せだと思う。孤独を感じて途方に暮れるよりは幾分かマシだ。

褒められるのは嬉しい。悪い気持ちはしないし、もっと言って欲しくなる。可愛いとか、気が利くねとかそういった褒め言葉ばかりをずっと求めている。彼に下心があることはわかっていた。だが、絶対に一線は超えてはならないのだ。彼には配偶者がいるし、私にもその気はないのだけれど、彼が求めていることは察知していた。

結婚は幸せのゴールではない。子どもの成長を見守るためにやむを得ずに一緒にいる夫婦を知っている。関係性が破綻しているのに、我が子のために一緒にいるを選ぶ気持ちはどんなものなのだろうか。当事者じゃないから彼らの気持ちはわからない。逆に、幸せな家庭も知っている。職場の上司はスマホの待ち受け画面を家族写真にしていて、何か行事があるたびに、「可愛いでしょ」と子どもと妻の写真を見せつけてくる。仕事で見せる顔と家族に見せる顔は違うものだ。きっと後者の方が幾分か優しいのだろう。

結婚していようが、していまいが、自分が幸せかどうかが大切だ。でも、家に帰りを待っている人がいることを羨ましく思う場合もある。玄関の扉を開けても電気が付いていない。ただいまと言っても何も返ってこない生活は寂しさを運んでくる。幸せそうな夫婦を見ていると、私もいつかあんな風になりたいと思うが、現状結婚の予定はない。

人生には勝ち負けはないのだけれど、幸せそうな人を見るたびに勝手に惨めな気持ちになっている。たとえどれだけ仕事で褒められようとも、劣等感は消えない。選ぶ側と選ばれる側で分けるとするならば、私は選ぶ側なのだろう。だが、選ばれることはない。選びたいと思えるほどの魅力はないし、選ぶ側に立てるのかどうかも怪しいような気がする。彼の下心に乗ることは簡単にできるが、その先にある未来は輝かしさとは程遠い絶望だ。好意があるとわかっているからこそ、虚しさが大きい。束の間の癒しを求めたいだけという彼の消費欲に付き合えるほど私の心は広くない。

だから、私は彼の好意に気づいていないフリをする。都合のいい関係性は未来のない関係性と言っても差し支えない。帰り道で見た月がとても綺麗だった。街頭に集る虫のように思いのままに欲望を振り翳せる人間になりたかった。たとえそれがただの消費と分かっていても、急降下するジェットコースターに乗りたかった。

自分に向けられた好意は、欲を満たしたいだけの紛い物に過ぎない。彼は深爪よりも綺麗に手入れされた爪が好き。その事実を知りたくなかった。忘れたくても、彼の顔を見るたびに、その事実を思い出してしまう。世の中には知らない方が幸せなことがある。それが今夜の出来事だった。

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