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美しい呪い

いつも彼女は写真を撮っている。外に出かけるときは、カメラが必須らしい。僕はカメラに詳しくないのだけれど、一眼レフが高価なものなのは知っている。いつも肩に引っ提げていたカメラは彼女の華奢な体には似つかわしくない重厚感があった。一緒に行った場所や食べたものだけでなく、自撮りやツーショットを撮るのが僕たちの恒例行事となっていた。ふと彼女に写真を撮る理由を尋ねたことがある。彼女は「思い出はいつか消える。だから写真に残すことで、いつでも思い出せるようにしたいの」と言っていた。彼女の言葉は一理ある。ちなみに僕は写真を撮らない。写真には思い出が宿るが、思い出少しずつ色褪せて行くものだと思っているためだ。

彼女は撮った写真をいつもSNSに上げている。絶対に僕の顔は載せないという約束は守られているが、一緒に行った場所や食べたものなどあらゆる思い出がそこに残されているようだ。彼女はストーリーもよく活用しているため、一緒にいなくとも、ストーリーを確認すれば何をしているかがわかる。写真が嫌いなわけじゃないけれど、わざわざ残そうと思えないのも事実だ。

彼女はいつも楽しそうにしている。ご飯を食べる時がその際たる例だ。彼女以上にご飯を美味しそうに食べている人を僕は知らない。家で食べるときも、外食をするときもその様子は変わらない。昔、彼女にご飯ぐらい美味しそうに食べなよと注意されたことがある。彼女と違って、僕は世界一楽しくなさそうにご飯を食べていたようだ。今はその言葉のおかげで改善傾向にあるが、彼女には勝つことができていない。ある日、カメラを借りて、彼女がご飯を美味しそうに食べる姿を写真に残した。それが嬉しかったのか、その日から彼女のSNSのアイコン写真は僕が撮影したものになった。

彼女と一緒にご飯を食べる前に写真タイムを挟まれるのは、少し戸惑いもあるけれど、彼女は決してご飯を無駄にはしなかった。どれだけ多くても残さず全てを食べている。そして、食べ終えた後は、ご飯の写真をSNSにアップする。ご飯の写真をうまく撮るのは容易ではない。SNSに載せられている美味しそうなご飯の写真を彼女は熱心に研究したそうだ。もっとやることがあるだろうと思ったが、大切にしたいことは人それぞれのため、口を挟まなかった。

思い出をSNSに蓄積するのは、いつでも見返すことができるようにしたいためだという。思い出を残したい気持ちは理解できるけれど、それを誰かに見せる行為にはどのような思いが隠されているのだろうか。僕はあまり写真を撮らないタイプだけれど、もし撮るとしたら自分だけが見返せる場所に思い出を蓄積する。自分だけの特別な空間を持つことは、時に自分を救う。苦しい時に見返して、楽しかった思い出に痛みを癒してもらいたい。嬉しい気持ちになった時に、楽しい思い出を見返して、その喜びを倍増させたい。結局この問いは解決されることなく、彼女はどこかへ消え去った。

思い出を残す行為は、生きた証を残すと言っても過言ではない。それが別れた後にSNSに残されていたとしても、2人が共に時間を過ごした事実が、今もSNS上に残り続けている。だが、僕が彼女のSNSに載せられているわけではない。一緒に行った場所や食べたもの、彼女と過ごしたあらゆる時間がそこに残されているのだ。彼女が誰かにこの事実を伝えていないとすれば、2人だけの秘密となる。まさか2人の思い出がこのような方法で残るとは思っていなかった。こんなはずじゃなかっただけが胸に残り、肝心の彼女はどこかへ消え去った。彼女のアカウントを見なければ、問題はすぐさま解決すると頭で理解しても、体がうまくついてこない。ふとしたタイミングで彼女のアカウントを検索して、当時の思い出に浸ってしまう。強くなりたい。でも、強くなれない。その繰り返しの中をいつまで彷徨えばいいのだろうか。

彼女と過ごした時間はとても幸せだった。なぜ彼女がどこかに消え去ったのか、今もSNSに写真が残されているのかはわからない。思い出はやがて美化される。だから、写真に残す行為に反対だった。いつまでも色褪せないどころか、どんどん綺麗に彩られていくのが疎ましくて仕方がない。彼女は最後まで掴めない女性だった。出会った時から何を考えているわからない人間だった。僕は感情がすぐに顔に出るタイプのため、すぐさま真逆の彼女に惹かれていた。彼女は夏を迎える少し前にどこかへ消え去った。きっと溜まっていたストレスが爆発したのだろう。言いたいことを言わない。いや、言えない。もっと話し合いをすれば良かった。

いつも彼女は写真を撮っていた。外に出かけるときはカメラが必須らしい。一緒に行った場所や食べたものだけでなく、自撮りやツーショットを撮るのが僕たちの間の恒例行事となっていた。ふと彼女に写真を撮る理由を尋ねたことがある。彼女は「思い出はいつか消える。だから写真に残すことで、いつでも思い出せるようにしたいの」と言っていた。その言葉が自分の足枷になるとは思わなかった。

彼女が写真を撮らない人ならば良かった。写真に残すことで、消えない傷跡をずっと残されるとも思っていなかった。写真を撮る彼女の姿を愛おしいと思っていた。フィルター越しにいた彼女はどのような顔をして写真を撮っていたのだろうか。もうその答えは知る由もない。SNSに接続して、彼女のアイコンをタップする。まだ2人の思い出は消されていない。まるで美しい呪いをかけられたような感覚だ。彼女が去ったあの日から一度もストーリーは更新されていない。彼女のアイコンの写真は一度だけ僕が彼女のカメラを借りて撮った写真のままだった。

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