文章では自分をさらけ出してもいい
過去に自分が書いた文章を読み返してみた。友人から青臭いと言われた文章は、ぐうの音も出ないほどの正論で納得せざるを得なかった。エッセイや小説の執筆がしたいなど、欲望に塗れた文章を書いている。いつまでこのような青臭い文章を書き続けるのだろうか。さっさと夢から醒めてしまえばいい。冷静になった瞬間に、そんな言葉が思い浮かんだ。
文章には青臭さがあるものの、現実世界の自分は実に合理的な人間である。しっかりしているねと言われることも多いし、自分でもたまにそう思う。毎日せっせと仕事をして、最低限の生活レベルを保ち続けている。贅沢はできないけれど、それなりに充実しているし、これといった大きな不満もない。誰かと会った際に夢の話をすることはほとんどないし、知り合いは文章と現実世界のギャップに驚いている可能性もある。
現実的に考えて、夢を追うにはまず生活レベルを安定させなければならない。明日食べるものがないギリギリの状態では夢を追うどころか、日銭を稼ぐのに必死になる。これは学生時代に飯を食えない日々を過ごしたからこそ得た教訓だ。人間の心を滅ぼすのは貧乏である。貧乏であるがゆえに犯罪に走るといったケースも多く、お金がない状態では正しい判断軸を持つことは難しい。
生活が安定しているからこそ、安心して自分の夢に挑戦できる。お金がない状態で夢を追う人もいるけれど、大半の人は明日食べるものに困るというケースは少ない。よくテレビやラジオで貧乏時代を乗り越えたからこそ成功したというエピソードを耳にする。だが、そこに再現性はなく、その方法で成功する人は稀だ。大半の人が貧乏に耐えられず、夢ではなく現実を生きる道を選ぶに違いない。貧乏とはそれほど恐ろしいものなのだ。
過去の経験を踏まえて、夢を追うときはまず生活レベルを安定させてからだと決めている。だが、文章の世界では仮面を脱ぎ去った自分が顔を出す。やりたいことができた時に、素直にやりたいと言ってもいい場所。自分の本心と向き合い、思うがままに文章を綴っていく。そこに嘘偽りはない。現実世界では夢ではなく、現実を見て生きる。その上で、やりたいことに挑戦する。文章の仕事を一生続けられるかどうかはわからない。でも、人の心を揺さぶることができた事実は、この仕事を続ける理由にもなっている。