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独立して2年がたったので少しだけ振り返ってみた

2018年9月に独立し、ありがたいことに、今日で3年目を迎える。

できたことよりも、できなかったことの方が多かった2年目。

28年の人生の中で、1番の困難を乗り越えた2年目。

そんな1年を、今日は少しだけ振り返っていく。

過労で倒れて始まった独立2年目

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さあ、これから2年目を始めようと思ったその日に、僕は過労で倒れてしまった。

平均3時間睡眠の生活を2ヶ月続け、体重も5キロほど落ちて、「ちゃんとご飯食べてる?」っていろんな人に心配されていた。そんな無茶な生活を繰り返し、気づいていないフリをしていた悲鳴が、突然の刃を持って自分自身へと襲いかかる。

「誰か救急車を呼んで!」

気絶しながらも、鳴り響く叫び声に、反応している自分がいた。

「誰か倒れたのか!早く救急車を呼ばないと!」

焦りと自分の中の正義感が、ふと自分の意識を呼び覚ます。

ふと目を開けると、目の前に天井があった。なぜ、僕は天井を見上げているのだろうか。すぐに状況を飲み込めるわけがなく、焦りの中、芽生えた自分の中の正義感は泡のように弾けてしまっていたことに気付く。

「あれ?倒れているのは自分?なにがどうなってんの?」

自分の状況を理解できず、焦りの中、体を動かそうとしたんだけど、なぜか体が動かない。手足だけでなく、全身が痺れる。周りに迷惑を掛けているのは自分自身だということにここでようやく気付いた。

それでもなぜか僕は、倒れた事実を無視し、その日を安静に送ることなく、また仕事に向かう。僕は、走るのを止めることが怖かった。休むことに後ろ向きだった僕は、走り続けることでしかその不安を解消できない弱い男だった。

ふと画面に目をやると、愛用していたMacBookの画面が真っ暗になっているではないか。

その途端に、この世の終わりみたいな気分になった。

なぜこうも不幸は重なるのだろうか。

どうしようもない1年の始まりを、迎えた事実に目の前が真っ暗になった。

あの頃は、走ることと休むことのバランス感覚を失っている自分がいたことに気づけなかった。今振り返るとペース配分を間違えたマラソンランナーみたいで、あまりにも弱くて、脆くて情けないよね。

アンバランスな生活を送り続けた代償が、過労で倒れるだなんてあまりにも滑稽だろ。

あなたの病名は「ベーチェット病です」

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過労で倒れた事実に目を背け、僕はあいも変わらず、無茶な生活を送り続けていた。アンバランスな生活の中で、目に少しだけもやがかかっていることに気付く。

「もしかすると、目に疲れが出ているのかもしれないから目薬をもっとさそう」

少し高めの目薬を薬局で購入し、休憩のたびに、目薬をさしていた。数日がたち、もやが減るどころか、増えていることに気付く。だから、仕事が落ち着いたら眼科に行くことにした。

体のSOSに気づかず、目薬でどうにかしようとしていた自分自身に、今とても後悔している。

2019年9月24日、目が覚めるともやがかかってなにも見えなくなってしまった。愛用していた眼鏡すら見つからず、無能すぎる自分に嫌気が差す。

目が見えないければ、仕事ができないと、ようやく重い腰が上げ、地元の小さな病院へと足を運ぶ。

診察室から「89番、サトウリョウタさん」と声が鳴り響いた。

自分の症状を病院の先生に話し、顕微鏡みたいなで僕の目を診察する。

焦り出した先生が、僕の目を見ながら、「あんたこんな小さい病院じゃ面倒見られへんから、今すぐ大きな病院に行きなさい。今すぐ紹介状を書くから、今すぐその足で行きなさい」と念を押すように、力強い声で僕に言った。

めんどくさいなと思いながらも、目の見えない体を引き連れて、大きな病院へと足を運ぶ。

病院に着くと、始まる数時間に及ぶ全身のレントゲン検査。

目に光を浴びすぎて、気持ち悪くなった僕は、病院の先生の目の前で嘔吐し、自分の足で歩くことすらままならなくなってしまっていた。それでも検査は続き、看護師さんに車いすを押されながら、病院中を駆け巡る。

「あなたの病名は、ベーチェット病です」

聞いたことがない病名に、頭の中で「?」が浮かぶ。

病院の先生は続けて、

「あなたは難病に罹っています。長期的な治療が必要ですので、週に最低2回は必ず病院に来てください」

意味がわからなかった。頑張りを間違えた代償が難病だなんて、信じたくなかった。「どうして自分なんだろう?」という言葉しか、浮かんでこない。悔しさと後悔ばかりが、ぎゅっと胸を締め付ける。

病名を告げられたあの日から1ヶ月ほど、毎日のように涙を流していた。自分の現実から目を背けたくて、ほっぺたをつねっても現実は自分に襲い来るだけだった。

「止まれよ、涙」と願っても、流れ出す涙。人は、こんなにも泣けるものなのか。体の水分がなくなってしまうんじゃないかと思うぐらいに、目から涙がこぼれ落ちていた。

目が見えないため、生活すらままならない。仕事も強制的に休むことになり、自分を支え続けていたくだらないプライドすらも打ちひしがれていた。

仕事ができないから、生活費も稼げない。どうしようもないから、周りに助けを求めることにした。

たくさんの人に、支援していただいた。ご飯に連れて行ってくれた人、報酬を上乗せして入金してくださったクライアントさん、ご飯を毎日のように作りに来てくれていた当時の彼女。

たくさんの人の温かさに触れ、1人じゃないことに気付く。

今も難病の治療中なんだけど、周りにいる素敵な人たちのおかげで、立ち直ることができたので、本当に感謝しかない。

仕事が激減したコロナをチャンスと捉えた

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コロナウイルスの蔓延により、取材の仕事が軒並みキャンセルになった。今のままじゃダメだと、これまでのスタイルを一変すると決めた。

紹介でずっとお仕事をいただいていたんだけど、自分を変えるために、いろんな企業さんに営業を掛ける。そのほかにもライティングのサロンに入り、仕事を獲得することも増えてきた。

その甲斐もあったのか、コロナの前よりも、ライティングの仕事を依頼される回数が増えている。ありがたいことに、知り合いが企業さんに、自分を紹介してくれることもある。

ありがたいことに、コロナ期間に最高月収を叩き出すこともできた。自分の中で少しずつ手応えを感じるようになったきっかけをくれたコロナに、不謹慎かもしれないけど、少しだけ感謝をしている自分がいるのも確かだ。

息をするように文章を書く

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独立2年目を迎える少し前から、noteを毎日更新するようになった。今日もその毎日更新の一興として、この文章を書いている。気がつけば毎日更新は446日目を迎えた。

今では文章を書かないことがストレスになっていて、文章を書くことで、自分の生活を整え、文章を書くことで、自分の価値を見出している。

4年近く文章を書き続け、今では息をするように文章を書き続ける毎日。ずっと文章に塗れた生活を送っているから、文章のない生活はもう考えられない。

この1年で取材やグルメレポ、たくさんのジャンルの記事に挑戦させていただいた。ライティングのワークショップもやらせていただいたし、文章を通じて、できる幅を広げていきたいし、必要な人に文章を届ける努力をしたい。

20代はたくさん挑戦して、たくさん失敗する

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「20代にたくさん経験していれば、30代にその経験が成果として現れ、その後の人生をより豊かにするんだよ。つまり20代から積み上げている人が最強ってこと。そして、経験値の少ない人はそれがはっきりと顔に現れるから、ちゃんと挑戦して、ちゃんと失敗しなさい」

学生時代にとある企業の代表の方に、こんな言葉をいただいた。

自分の人生に深みを持たせるために、20代のうちに、ちゃんと挑戦して、ちゃんと失敗する。そして、経験をただの経験で終わらせず、自分の中できちんと昇華して、よりよいものを作っていく努力を怠らない。

若さに甘えるのではなく、若さをきちんと活かす。無茶はだめだけど、自分の限界を超えるためには、少しの無理は必要だから、体に支障をきたさない程度の無理はちゃんとする。

楽しいこともたくさんする。そして、常に遊び心を忘れない。悲しみや怒りも忘れるのではなく、そこにあった確かな事実として、ちゃんと胸に刻む。

優しい人でいること。人を否定しないこと。困っている人がいた場合は、無条件に手を差し伸べること。なるべく綺麗な言葉を使う。弱音はちゃんと吐く。1人で抱え込まない。

中学の恩師にいただいた「ありがとう、言われるように、言うように」を、今後もちゃんと実践していく。

独立3年目はどんな1年になるのかな。少し不安もあるけど、それ以上にワクワクの方が大きい。ああ、ちゃんとワクワクしている自分がいてよかった。

自分の未来にたくさんの楽しみがある人生は、とても嬉しいものだね。

そんなこんなで3年目もよろしくお願いします。

サトウリョウタ

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