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人生迷子、それもいいんじゃない

人生のあらゆる場面で、複数の選択肢を前にいつも迷子になる。いつになったら迷わずに生きていけるのだろうか。そして、迷ってしまう自分もかわいいと許せるのだろうか。

進学、就職、転職、独立などあらゆる場面で、あらゆる選択肢が用意される。選んだ道を前にしても、自信を持てずにいる。これまでの人生の中で自分に自信があった日よりも、自信がなかった日のほうが確実に多い。新しい挑戦をするたびに、これでいいのかと迷ってしまうし、うまくいっていたとしても、これはずっとは続かないと考えてしまう。選んだ道を正解にできるかどうかは自分次第。そんな当たり前の正論がいつも心を蝕む。

「やりたいことはありますか?」

その問いに具体的な答えが出せなかった。いつも答えは漠然としている。やりたいことはなんだろう?それすらもわからない。やりたいことが決まった。でも、それは本当にやりたいことなのか?それすらもわからない。

僕は文章を仕事にしている。これから先も文章に携わる仕事をしたいとは思う。とはいえ、文章にもいろんな携わりかたがあって、どんな文章を書きたいとかどんなジャンルで、どんな人に届けたい?それすらもわからなくなる日がある。

文章を仕事にすることはできたけれど、それ以降のライフプランは未定のまま。考えなきゃと思えば思うほど億劫になる。「逃げるが勝ち」がいいけれど、きっと逃げた先にはさらなる地獄が待っているにちがいない。なんてわかってはいるけれど、都合のいい言い訳を並べては、ずっと自分から逃げてきた。

29歳になっても、ずっと人生迷子である。子どもの頃は大人になったらやりたいことが明確で、それを叶えていると思っていた。実際はどうだ。やりたいことすら見つからず、ずっと迷子の日々を送っている。子どもの頃の自分がいまの自分を見たらどう思うだろう?

きっと悲しむにちがいない。こんなことを書いている自分自身が悲しいと感じるのだから、子どもの頃の自分は悲しいどころか絶望してしまうかもしれない。

きっと人生迷子はこの先も続くし、自分に自信を持てる日も少ないかもしれない。それでも胸を張っていきたいと思うし、少しずつでいいから胸を張って生きられる人間になりたいと思う。迷子になるって考え方を変えれば、人生に必死な証で、ちゃんと生きているからこその悩みなのかもしれない。

だとすれば、必死に生きている自分を褒めてもいいんだと思う。頑張っているその事実をきちんと認めるのも自分の務めだ。甘やかすときは目一杯甘やかして、厳しさがほしいときはストイックになってみせる。

自分の選んだ道を最後に正解にできるのであれば、どれだけ迷ってもいいし、うじうじしたっていい。それが必死に生きた証になるのなら。最後に笑うのは自分だって思いながら1歩ずつ前に進んでいきたいね。

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