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嫌われる勇気なんて持ち合わせていない

「好きになりたかったよ」

誰かに言われたくも、言いたくもない言葉だ。恋は努力ではなく、自然と落ちるもので、好きになる努力など死んでもされたくないし、無理をして好きになったとしても長続きしないのがオチ。それにこの言葉ほど信用できないものはない。本当に好きになろうとしたのかなんて結局のところ相手にしかわからないし、知ったところでどうにもならないのが現実だ。

『嫌われる勇気』という本を読んで、自分に嫌われる勇気がなかったことを再確認した友人がいる。友人は社内で部下を持つ立場になり、部下育成のために頭を抱えていた。ときには厳しい言葉を伝える必要もあるのだけれど、優しい彼は厳しい言葉を相手に伝えられない。その結果、部下に舐められると言っていた。ここで終わらないのが友人である。友人のすごいところは嫌われる勇気を持ち合わせていないけれど、何かできることがないだろうかと模索する強さだ。あの場所に光はなかった。だから、どうした、光がないなら光を灯せばいいと言われている感覚。

僕も友人と同じく、嫌われる勇気を持ち合わせていない人間である。全員に好かれるなんて無理という事実は知っているけれど。なるべく好かれたいというエゴしか自分の中に存在しない。好かれるよりも嫌われる方が遥かに難易度が低い。相手の嫌がるところを延々と突き続ければ、あっという間に自分から離れてく。でも、好きは相手が喜ぶことをどれだけしたとしても、容姿や感性などが相まって、それが報われるとは限らない。

好きになりたかったけれど、なれなかった。結局、あの子が呼ぶ名前は別の男の名前で、知らない男の話を延々とされる地獄のような時間を過ごした。君に好かれなくたって、世界にはたくさんの人がいる。それでも2人の明るい未来を夢見たい無謀な男がいて、それがただの虚無だった事実を思い知っては、好きになる努力すらも実らなかったのかと打ちひしがれていた。相手を好きになった気持ちを持続する難しさはたくさんの人が痛感していることだろう。その難易度よりも遥かに高いのが相手を好きになる努力をするである。興味がないの大きさと比例して、その難易度はどんどん跳ね上がっていく。

なんだろう、好きになる努力が虚しい。好きになる努力をされるのであれば、いっそ嫌いになってほしい。けれど、嫌われる勇気は持ち合わせていないという矛盾を一生抱えて生きていくのだろう。嫌われたくもないし、好きになる努力もされたくない。いつかこの弱さが強さを凌駕する瞬間はやってくるのだろうか。

彼女が言った好きになりたかったよの一言にどれだけ気持ちが込められていたのかはもう知る由もない。もしかしたら僕を傷つけないための優しさだったのかもしれないし、そもそも興味すらなかったのかもしれない。ただひとつ理解できるのは、相手が僕を好きにならなかったという事実だけ。たとえそれが分かったとしても、僕たちの関係に前進はなく、残されたのは後退のみである。結局、僕たちは彼女の言葉を受けたあの日から一度も連絡をとっていない。

彼女がもしも自分を好きになっていたら、今頃どんな生活をしていたのだろうか。きっとそれはそれで幸せな生活になっていたにちがいない。2人とも土日が休みのため、月に1,2回はデートをして、1年ぐらいお付き合いしたら同棲を考えていたのかもしれない。夢見る未来が明るくないわけなんてなくて、たとえ実現しなかったとしても、ずっと夢見がちなままの男のままでいるのだろう。それでも好きになってもらえなかったのは僕で、好きになる努力をさせてしまったのも僕だ。

あのとき告白をしていなかったら、親友になっていたかもしれない。全部たらればの話だ。今も実現できなかった話しか頭の中に思い浮かんでこない。今の関係のままでいいじゃんと言った彼女に対して、すぐに白黒をつけたがる僕の性格が仇となった。努力は誰もがやっていることで、その方向が自身に向かなかっただけの話であり、努力しても好きになれなかった事実だけが胸を締め付ける。

好きになる努力をするぐらいなら、今の関係のままでいいよ。あのときそう言えていたならば、誰も苦しまずに済んだのかもしれないね。

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