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一銭にもならない文章を書き続ける理由

「一銭にもならない文章を書く理由はなんですか?」

先日、中野の居酒屋で友人と飲んでいるときに、こんな問いを受けた。手に持っていたハイボールは微動だにせず、早く答えろと僕を急かす。周りの視線もこちらに集まり、どんな答えが出てくるのかをずっと待っていた。

無言のまま無情にも時間だけが流れ、何も言わない僕と問いの答えを待つ友人の間に気まずい空気が流れ出した。ちなみに友人も昔はnoteやブログで文章を書いていたらしい。加えて、すべてはお金をもらって書いた文章を読んでもらうためとも言っていた。なるほどと思ったし、無料でクオリティの高い文章を書くとファンが付き、お金をもらって書いた文章が読まれやすくなるんだろうとも思った。

あれ?一銭にもならない文章を書く理由ってなんだっけ?

時間が過ぎれば過ぎるほどに、その期待値は徐々に上がっていく。一銭にもならない文章を書く理由なんて一度も考えたことがなかったため、その場で答えは出ず、「書く理由なんて考えたことがなかったです」としか答えられなかった。僕のくだらない一言に期待値が上がった居酒屋は一気に冷え付いていく。気の利いた言葉のひとつやふたつも言えない自分の非力さを恨んだ。

一度も考えたことがないとはいえ、帰り道に1人であれこれ考えてみたものの、もちろん最初から答えは決まっている。それが覆るわけなんてなかった。僕が一銭にもならない文章を書いている理由は、書くことが好きだからだ。それ以上でも以下でもない。一銭にもならない文章が、お金をもらえる文章を書くきっかけになればいいと思っているし、文章を通じた出会いがあればうれしいと思っているのも事実だ。

これまでに一銭にもならない文章から何度かお金をもらって書く仕事ももらったし、文章を通じて、たくさんの人に出会えた。お金をもらってかけるのが1番だとは思うけれど、一銭にもならない文章で僕はたくさんのものを手に入れてきた。

とはいえ、好きだけで書くという結論は少し薄いような気がするため、もう少し掘り下げていきたい。

僕はライターとしてお金をもらって文章も書いているし、一銭にもならない文章も書いている。お金をもらって書く文章は関わる人が増えるため、ヘマしたときにその人にも悪影響を与えるかもしれないなんてことを考えると一気に肩に力が入る。誰かが関わっているというプレッシャーはやがてたくさんの人に読まれたいに変わっていくのも事実だ。

お金をもらって書く文章は自分が書きたい文章ではなく、クライアントさんや社会が求めている文章を書く必要がある。逆に一線にもならない文章の僕1人の責任しかない。責任の話で言えば、後者の方が圧倒的に楽だ。加えて自分の書きたいことを好きに書いても誰にも文句は言われない。そもそも一銭にもならない文章は誰かに読まれたいわけではなく、自分の心を整理するために書いているのだ。もちろん誰かに読まれたらうれしいし、仕事につながってほしいとも考えているけれど、前者の方が気持ちが強い。

書きたいことと求めらていること。どちらか片方だけだと、心が疲れてしまうし、疲弊した心で書く文章は読んでいてつまらない。お金をもらって書く文章を書き続けるために、一銭にもならない文書を書いているのかもしれない。

友人の問いかけに何も言えない自分がいたけれど、いまならちゃんと答えを出せる。僕は人を誘うのが苦手だから、相手を誘ういい口実ができて良かった。今度友人と会ったら、一銭にもならない文章を書いている理由を伝えようと思うんだ。

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