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着たい服を着ればいい

リーバイスの501は、どんな服装にも合うからずっと重宝しているお気に入りの1本だ。大学時代からずっと履き続けているドクターマーチン。今の革靴は一体何代目なのだろうか。学生時代に知識がなく、手入れをせずに履き潰して締まったことを今でも後悔している。他のブランドの革靴も試したけれど、やっぱりにドクターマーチン戻ってきた。ハイブランドの革靴はまだ手を出したことがないため、いつか購入したいという野望はある。

白のカッターシャツを羽織り、その上からTシャツを着る。少し前まではアニメTシャツを着るのが恥ずかしかったけれど、最近の古着業界はアニメTが流行っているらしい。そのおかげで街に出るときにアニメTシャツを着ても恥ずかしくなくなった。

もちろんTPOには気を配っているつもりだ。プライベートでは、アニメTを着ているが、初めて会う方がいる打ち合わせでは必ずカッターシャツの上にジャケットを羽織って、ネクタイも締めている。馴染みのある相手にはそこまで気を使う必要はないかもしれないけれど、初対面の相手の場合は対応を変えなければならない。人の第一印象は、出会って1分で決まるようだ。そこでネガティブな印象を与えてしまうと、ポジティブに変えるのは簡単ではない。清潔感はもちろんのこと不快感を与えるような服装をするのはNGだ。加えて、その方との時間は一回きりしかない可能性もあるため、損をする身なりはしたくない。会う相手や場所に失礼がないような服装は自分を守るために必要な気遣いである。

昔からかっこいい服が好きだ。シャツにネクタイを締めて、ジャケットを羽織ればかっこよく決まる。ずっとかっちりした服装をしていこうと考えていた時期もあった。ただそれだけだとファッションを楽しめなくなる可能性もある。その危険性から逃れるために今はさまざまなアイテムを取り入れるようになった。だが、人と被らないようにする意識だけはしている。それは僕が古着にはまった理由が、人と被らないファッションがしたいと思ったためだ。最近は古着を購入する人も増えた。その影響もあって、古着市場はブランドのアウトレット化のようになっている。それだけ古着が市民権を得たという証明でもあるのだけれど、どこのブランドかもわからないものから自分に合った服を見つけるあの感覚をずっと忘れたくない。

スーツスタイルだけでなく、アニメTシャツも取り入れる。その幅を楽しめるようになったのは30代になってからだ。今でもかっこいい服を見るとみ進める。だが、可愛い服を見ても同様の気持ちが芽生えるようになった。だが、冷静になって考えてみると、服はただの布切れに過ぎず、生地の違いもしくはデザインの違いしか差異はない。その事実は十分に理解している。そのような認識で服を見ても楽しくない。そのため、服をただの布と捉えず、身に纏えば人生が豊かになるものだと考えている。

服は装備であり、脱ぎ去れば中身だけで勝負しなければならない。いわば自分を取り繕っているのだ。それは時に己を生かす場合があるけれど、自分を偽り続けると仮面の下に隠されている本当の表情がわからなくなるのも事実だ。その状態で誰かに会ったとしても、表面的な付き合いはどうせ長続きしない。互いの奥底まで見せ合った関係を築けてこその人間関係である。どれだけ着飾ったとしても、自分を曝け出す行為を忘れないでいたい。

かつて社会に迎合するために、自分を騙していた時期がある。男だからかっこよくなければならない。その呪縛によって生まれた生きづらさが己の首を締めていた。ふとしたときに、偽りの自分に意味はあるのだろうかと考えたことがある。かっこよさを追い求める行為を否定しているわけではない。僕もかっこいい男でありたいと思っているし、そのために努力を続けている。

だが、かっこよさの基準は人によって異なるものだ。僕の場合は、自分の好きな服を着ているそんな自分がかっこいいと感じている。そもそも生き方は自由だ。古着がそんなことを教えてくれたような気がした。この先おじいちゃんになってもアニメTを着ていたい。そして、トラッドなジャケットスタイルも楽しむ。自分が一番いいと思える服を楽しめるそんな人間でありたい。

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