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『だが、情熱はある』は、自分の中に眠る情熱を再び思い出させる物語だ

「たりないふたり」がドラマ化されるとニュースを見たときに、本当に大丈夫なのか?と不安もあった。それも束の間、銀杏BOYZのオープニングが流れ、二人がステージに立った瞬間にそれが杞憂だったと知る。

毎回、ドラマ『だが、情熱はある』(日本テレビ系)に魅了されている。「たりないふたり」とは、オードリーの若林と南海キャンディーズの山里の二人が組んだユニット。最近、よくお笑いを舞台にしたものが映像化されているとはいえ、まさか「たりないふたり」の二人がドラマ化されるとは思ってもいなかった。

King & Princeの髙橋海人、SixTONESの森本慎太郎が演じるオードリーの若林、南海キャンディーズの山里の完成度がとにかく素晴らしい。まるでそこに本人がいると錯覚するほどの憑依力は流石の一言に尽きる。M-1グランプリで実際に披露したネタを演じたあのシーンはまさに天晴れだった。自分達の現在地にネガティブになったり、悔しさを見せたりしながら、少しずつ前を向くその様子は、観るものの心にグサリと突き刺さり、自身の経験と重ねた人も多いのではなかろうか。

お笑いという弱肉強食の世界は、誰もが生き残れるわけではない。どれだけ熱心に芸を磨いても、その努力が実るとは限らず、生き残れるのはほんの一握りだ。そんな厳しい世界でそんな彼らが生き残った理由が、本作では丁寧に描かれていた。加えて、一発当てただけでは生き残れないことも周知の事実だ。今でこそ二人の名を知らない方が珍しくなったが、彼らもヒットを打ち続けるために、悩み、もがき、そして苦しみ続けていた。

チャンスは、平等にやってくる。芸人には、M-1グランプリやキングオブコントなど、その名を世に知らしめるための舞台がいくつも用意されている。だが、そこにはたくさんのライバルがいて、小手先だけでは舞台にすら立てないことも周知の事実だ。限られたチャンスを物にすることの難しさ、栄光の裏にたくさんの悔しさが蔓延っていること、死に物狂いの努力が必要であることが痛いほどにわかる。

僕は関西出身で、お笑いという文化が日常に溶け込んでいた。クラスで一番面白い人が扉を叩く芸人という茨の道。養成学校に入学しては、自分の至らなさを知り、自分がいかに井の中の蛙であったかを思い知る。そんな人たちをこの目でたくさん見てきた。

かつて、友人がM-1グランプリに出場すると息巻いていた。素晴らしい挑戦だと思ったし、彼らの挑戦に本気で応援している自分もいた。そう思ったのも束の間、彼らは勝ち残るための努力をしていないことが判明する。彼らは、本業が忙しくて、お笑いに向き合う時間がない。集合して練習できる機会も少ないとSNSで報告していた。勝手に期待して、勝手に裏切られた気分に陥って、本気で応援したいと思っていた自分の見る目のなさに心底ガッカリした。

何よりも本気で勝つために試行錯誤を重ねている人に失礼だ。彼らは予想通り一回戦で落ちたが、それを報告する文章があまりにも自分に酔っているではないか。もう2度と応援しないと心に誓ったし、記念でM-1グランプリに出場する人がいることを知った。加えて、本気でお笑いに向き合っている人へのリスペクトの気持ちがさらに強くなった。

何者かになるために、もがくことは他人から見れば、無様な姿なのかもしれない。それでも前に進むためには必要な時間である。きっと誰もが一度はその道を通ってきており、本作に忘れかけていた青春を重ねたことだろう。

本作は、友情物語でも、サクセスストーリーでもない。そして、ほとんどの人においてまったく参考にもならないのかもしれない。だが、情熱はある。これは自身の中に眠っていた情熱を再び思い出す、僕たちのための物語だ。

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