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離れてても、同じ空の下

あの日、地元の友人たちが送別会を開いてくれた。

2023年の1月にずっと憧れていた東京に移住した。その理由は、30歳になって、やっぱり一度は東京で挑戦してみたいと思ったためだ。地元を離れるのは寂しかったのだけれど、上京に後悔はない。少し距離は離れているものの、LINEを使えばすぐに連絡を取れる。ひと昔前だったらありえない話だから、ITの発達はすごいなと感心するばかりだ。

僕が東京に移住する前に、中学生からずっと仲が良い2人の友人が送別会を開いてくれた。会っても寂しさが募るだけだと思っていたのだけれど、次に会えるのがいつになるかわからなかったため、僕は友人の誘いにイエスと答えた。

友人との会話はなんてことないくだらない話が大半なのだけれど、時折仕事や将来のことなど真面目な話もする。僕はフリーランスとして不安定な仕事をしているため、友人は心配なのだろう。会うたびに、ちゃんと飯食ってるか?とか、仕事はどうや?などまるで親みたいなことを聞いてくる。最初はまたかよと思っていたのだけれど、回数が増えるたびに、心配してくれる人がいるって幸せだなと思うようになった。

送別会が開かれたのは友人の新居だ。その家を見た両親に「立派な家が建って良かった」と言われたらしく、その話を友人は照れ臭そうに話す。長男だからできて当たり前、そんな生活をしていたから、親にその言葉をもらえただけで救われたんだとか。良かったなぁと思いながら話を聞いていると、友人が「お前、東京に行って関西弁抜けてたら絶対にしばく」と口にした。そのときにまた会えるんだと嬉しくなったし、故郷に待っている人がいるとあらためてわかって、思わず微笑んでしまった。

すっかりお酒に酔ったのか、「距離が離れても、心はつながっているからな」と普段は僕をいじってばかりの友人が言う。続けてもうひとりの友人が「帰ってきたくなったらいつでも俺らは待っているからな」と言った途端に、思わず瞼の裏に溜まった涙がぶわっと流れ落ちた。友人の家を出た後に、友人と二人で電車に乗った。少し気まずくなったのか、無言のまま景色がどんどん流れていく、何か話さないととあたふたしている間に、最寄駅に着いてしまった。

最後なんだからもっと話せば良かったと後悔しながら電車を降りると、友人がこちらにちらりと目をやり、「頑張れよ」と照れ臭そうに言う。電車の扉が閉まる。無言のまま、でも、目線は確かにこちらを向いたまま、電車は進行方向へと走り出す。友人が僕の姿が見えなくなるまで窓越しに手を振っている。たったの一言だったけれど、10年以上一緒にいる僕らには、それだけで十分すぎるほどだった。

30年住んだ大阪を離れ、東京に移住した。新しい土地にはまだ慣れていないし、思ったよりも友達もできていない。お仕事もこれから先どうなるかわからないし、いつまで経っても不安は尽きないものだ。大人になってからの友達の作り方ってどうやるんだっけと、ずっと頭の中でぐるぐるし続けている。でも、大阪には10年以上一緒にいる大切な友達がいて、彼らの応援があるからこそ、知り合いがほとんどいない東京でも頑張ることができている。

先日、久しぶりに「今度はGW明けに帰るからそのときに会おうよ」と友人に連絡を入れた。すると、「もちろん」とだけ返事が来た。春は出会いと別れの季節だけれど、僕らは遠い場所にいてもきちんと繋がっている。それだけで頑張れるような気がした。

それでは聞いてください。ORANGE RANGEで『以心電信』。

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