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『silent』湊斗の「元に戻りたい」という発言について難病の当事者が感じたこと

湊斗の「元に戻りたい」という発言を無責任だと思った。元に戻れるわけがない。そもそも病気のあるなしにかかわらず、それぞれにそれぞれの8年があって、8年という月日は人の価値観や環境を大きく変えるものだ。

仮に昔の関係に戻れたとしても、完全に元通りになれるわけなんてない。加えて、湊斗が元に戻ったと感じたとしても、想の耳は聴こえるようにはならないし、想自身が元通りになったとは思わないだろう。

湊斗は高校の友達と開催しているフットサルに想を呼んだ、肝心の想の気持ちなどお構いなしである。加えて、高校の同期の意見も聞いていない。結局、想が来るかどうかわからないまま当日を迎え、想はみんなのもとにやって来たけれど、心の優しい想のことだ、行っても行かなくても気を遣わせると思ったに違いない。

想の気持ちを考えると、涙が出る。僕も難病の当事者で、両目ともに白内障にかかり、左目は緑内障を併発した。左目で文字は読めず、右目の視野は半分以上欠けてなくなった。完全に見えなくなったわけではないけれど、以前と同じ生活を送れなくなったのは事実だ。

難病はどんな医学をもってしても治らないと言われており、なくなったものが元に戻ることはない。その事実を受け入れたくないと思っていたし、きっと想も同じ思いだと思う、その証拠に耳が聴こえなくなったときに、想は「聴覚障害のサッカーをすることは病気を認めたことになる」と紬に話していた。

どんな病気にも当事者たちにしかわからない辛さがある。そして、中途失聴者と最初から失調者だったものも違う。江上が中途失聴者である想のことを「私たちとは違う」と壁を作った。「あったものがなくなった」と「元からなかった」では大きく意味がちがうのだろう。当事者同士でも壁を作るのだから、当事者と健常者が壁を作るのは当然なのかもしれない。

加えて、病気に罹った自分に同情をしてほしくないと、想は思っているのかもしれない。だから、自分から身を引いて、皆の前から姿を消した。あの頃のままの自分を覚えていてほしい。そんな願いがあったのかもしれない。かつての友や恋人に想が変わった事実を知られることは耳が聴こえなくなった事実を突き付けられることと同義だ。

もしかしたら湊斗が手話を覚えない理由は、元に戻れると本気で思っているからかもしれない。たしかに音声入力アプリさえあれば意思疎通ができる。でも、気軽に声を発せない想にとっては、それがなければ会話ができないという残酷な事実を突きつけられているだけだ。

元に戻りたいと誰よりも願っているのは当事者で、それが叶わないと知っているのもまた当事者である。その事実をすべて無視して元に戻りたいと言える湊斗の浅ましさに悲しさを覚えた。想がどの程度難病を受け入れているかはわからないけれど、元に戻れない事実を知った上でどう生きるかを必死に模索している道中なのだろう。

湊斗は自分を守りたいが故に誰の意見も聞かずに、1人で突っ走ってしまうタイプの人間だと推察している。フットサルの件も友達や想の意見を聞かずに良かれと思って開催した。紬との別れに関しても、紬と対話をする気など毛頭なく、自分の辛さが最大になる前に別れを勝手に選んだ。

耳が聴こえていても、通じ合えないことはある。それはどちらかが対話を拒んだ場合だ。自分の声に耳を傾けることも大切だけれど、自分を守りすぎると大切なものが見えなくなる。自分を守りたい気持ちはわかる。誰だって傷つきたくないものだ。でも、誰かと一緒に生きていくためには、対話が必要になる。自分の心の声に耳を傾けながら、他人の声にも耳を傾けることが今の湊斗には必要なんじゃないかな。

なんて偉そうなことを言ってはいるものの、僕も自分を守るために行動する湊斗と同じような人間だった。嫌われたくないからこそ、周りにいい顔をする。その行為が湊斗自身の首を絞めていることに気づいていない。湊斗に必要なのは、自己受容だ。そのためには自身の本当の声に耳を傾ける必要がある。自分と向き合う。それは乗り越えれば天国だけれど、目の前の現実を受け入れるには相当の覚悟が必要だ。今後、湊斗がどのような選択を選ぶのか。そして、それが自身の幸せな道になることを願うばかりだ。

「元に戻りたい」は願望の域を越えない。

8年前の彼らが長い年月を経て、変化を遂げ、新しい関係をどのように築いていくのか。そして、今後彼らの物語にどんな展開が待ち受けているのかが楽しみだ。

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