生きるって、めんどい
夜更けの空、原稿を書き終えて、ほっとした束の間、太陽が少しずつ顔を出してきていることに気がついた。原稿を書き始めたときは空がまだ真っ暗だったのに、いつのまにか空はもう明るい。頭がぼーっとし始めてきた。一緒に暮らしている猫はすやすやと眠りについている。
猫のように自由気ままに暮らしたい。すると、猫が「俺たちにもちゃんと苦労があるんだぞ」と言っているような気がした。そうだよな。それぞれにそれぞれの苦労があるんだよなって、勝手に反省して、猫をそっと撫でた。
壁にかけている時計を見るともう朝の6時半になっている。まじか。もうこんな時間なのかと焦りもしたけれど、特に予定があったわけでもないため、泥のように眠りについた。
目が覚めたのはお昼過ぎだ。外は朝方よりも明るい。家の前の大通りには、車がたくさん通っている。パトカーのサイレンが鳴った。出た、いつものやつだ。僕の家の下には信号無視を取り締まるために、いつもパトカーが張り付いている。毎日毎日サイレンの音を聞くたびに、また始まったよと複雑な気持ちになる。
あれだけ綺麗に咲いていた桜は、もう綺麗さっぱり散ってしまった。桜は好きだけど、嫌いだ。命は美しく、儚いと教えてくれるから。綺麗な桜を見ては絶望して、散った桜を見ては、また来年も綺麗に咲くんだろうなと安堵している自分がいる。
小鳥のさえずりなんかも聞こえてきて、やってしまったとすこしだけ後悔をした。猫が飯をよこせと鳴いている。はいはいと言いながらペットフードを容器に入れると、満足したのか、嬉しそうにご飯を食べている猫がいた。
さて、今日は何をしようかと考えていると、一通のメールが届いていた。
「原稿の件ですが、進捗はいかがですか?」
書いても書いても原稿はなくならないし、早く出せよと言われれている企画がいくつもある。寝癖がついた髪を掻きながら「やっべ。忘れてた」と小声でつぶやく。文章を書いて生きている。寝ても覚めても文章のことばかり考えては、自分の才能のなさを嘆く日々。もしも願いが叶うなら文才が欲しい。でもなんの努力もせずに得た才能ではたして喜べるのだろうか。
なんて言っている場合ではない。顔を洗って、飯を食って、原稿を書かなければならない。とはいえ、たまには休みが欲しいと思っている自分がいる。休みの取り方が絶望的に下手な僕は、体調不良にならなければ休まない。体調を崩すたびに、反省をするが、何度も同じ過ちを繰り返しているため、つまるところ失敗から何も学んじゃいない。
いっそこのまま原稿を投げ出してしまおうか。読者やクライアントの期待を裏切り、このままどこかへ行ってしまおうか。なんて言ってみたものの、仕事を投げ出す勇気はどこにもない。今日も今日とて、文章を書く。それは生活のためであり、自身のためである。仕事があるだけいいじゃないかと猫が言った。そうだよな。寝ぼけ眼を擦りながら僕は今日も文章を書くのであった。