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本当はこんな人生になるはずだった

どうやらこれからの人生は、100年で考える必要があるらしい。医療の発達により、平均寿命はどんどん上がっている。人生を100年で考えるならば、80歳ぐらいまでは働く必要があるのかもしれない。50歳から起業する人も増えているらしく、働き方はどんどん多様化している。

人生計画なんてなんの役にも立たない。25歳で結婚して、30歳になったらマイホームを購入する。70歳で定年退職して、老後は田舎でひっそり暮らす。家庭はそりゃもう幸せで、愛にもお金にも困らない生活を送る。ずっとそんな人生を待ち望んでいた。

ところが、人生計画はちっとも叶っていない。マイホームはおろか結婚もしていないし、この先どうなるかは神様すら知る由もないのだろう。未来に絶望しているかと問われたら、そんなことはないと答える自分がいて、人生に希望を持つ人間で良かったと心から嬉しく思う。

そもそもの話、大学を出たら、教員になるとはずだった。大学で教員免許を取得したけれど、自分の心を配慮した結果、教員にならず、ベンチャー企業に就職した。教員にならなかった理由は、教育に希望を持てなかったことと、自己犠牲に走る性格を考慮したためだ。

大学卒業後は会社員として働きながら、文章を書いたり、お店を運営したりして、3年前に独立した。いまは文章を書いたり、編集したりと文章を中心に生計を立てている。いまの生活は気に入っているし、不満はない。

本当は思い描いたとおりの人生になるはずだったのに、予想とはかけ離れた人生を送っている。過去に戻りたいとは思わないし、後悔があるわけでもない。でも、家で一緒に暮らしている猫を見ていると、毎日のように1日でいいから変わってほしいと思ってしまう。きっとすこしだけ疲れているのだろう。忙しない日々のなかで。最近の悩みは、自分と向き合う時間を取れないことだ。いや、取ろうと思えば取れるのだが、そこに費やす体力がないのだ。

できることなら働きたくない。でも、難病の手術で入院したときは、早く働きたいと思っていた、要は仕事とプライベートのバランスをうまく取りたいだけなのだろう。毎週日曜を定休日としているのだが、仕事が忙しいときは、日曜も稼働している。あまりにも休みが取れなくなったときは、なんでこんなに働いているんだろうとわけがわからなくなってしまう。

働き方も休み方もずっと下手なままだ。いつまでたっても自分のキャパを理解できない。30年も生きてきて、微塵も成長が見えないから、もうすこしうまくやれないのかと、たまに落ち込んでいる。そんなときは人間1回目だから仕方ないと割り切っている。この調子で自分をうまく誤魔化し続ける人生をずっと送り続けていいのだろうか。

過去に設計した人生計画は、なんの役にも立っていない。人生計画を立てないほうがいいのかもしれないと思えるほどにだ。マイホームはおろか結婚も未定である。だから、僕は人生計画を立てないことにした。もちろんやりたことはたくさんあるから、そいつを実現させるためにこれからも動き続ける。

人生はまさかの連続で、それを楽しめるかどうかが肝になるらしい。予定はまだ未定だ。それでも未来が明るいことは既に決まっている。なぜならば僕が決めたからだ。思考は現実化するらしいから、幸せになることだけを勘が続ける。これから先もまさかがたくさん起きるにちがいない。人生を100年と仮定すると、小説の2章が始まった程度である。これからがどんでん返しのスタートだ。

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