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たったいま書いているのは「人生」である

毎日欠かさず文章を書いている。晴れの日も雨の日も体調が良い日も悪い日もどんなときだって文章を書く時間は欠かせない。もはやデトックスに近い。文章を書いて、自分の気持ちを整理する。この習慣が身に付いてからもう1000日近くの月日が経つ。

ただの日記やエッセイ、思いつきの小説などいろんなジャンルの文章を書いている。自分の頭の中にある考えをうまく言葉にするのは難しい。思い切り頭を捻って出た答えにモヤモヤする場合もあるけれど、これだという言葉と出会えたときの爽快感はとてつもない。

先日「自分をさらけ出すってすごいことだよ」と友人に言われたため、そうかなぁと思いながら「ありがとう」と返事をした。すると、「俺は自分を曝け出す行為は恥ずかしくてできない」とすかさず返事がきた。

自分をさらけ出す行為は、勇気がいることである。最初は自分をさらけ出すってなんか痛いとか、そんなことをして何になるんだろうとずっと思っていた。その日に起きた出来事や悩みを赤裸々に文章にする。自分の中に芽生えた感情を言葉にする行為を、ハードルが高いと考える人は絶対いる。むしろ僕もそっち側の人間だったし、毎日更新をやめてしまった元の場所に戻るかもしれない。

ところが、毎日文章を書き続けているなかで、その考えは変わった。文章を通じて出会った人は数知れず。それは自分をさらけ出したからこそ、出会えた人たちなんだと思う。たくさんの人に救われ、いまの自分が形成されている。その事実を改めて気づいたときに、文章を書いてきて良かったと思った。

文章を書き続けているなかで、感じたことは「もしかしたらこれって文章を書いているのではなく、人生を書いているのでは?」だ。人生を見える場所に残すためや、文章を読んでもらって、気の合う人を探すために文章を書いている。

文章を書き始めてから人生が一変した。たった一歩踏み出すだけで、想像以上に人生は変わる。自分が選んだ道は間違いじゃない。そう思えたのは、文章を通じてたくさんの人と出会えたからなんだろう。文章を書いていて良かった。文章と出会えて良かった。僕はずっと文章に救われ続けている。

これからも自分をどんどんさらけ出していこう。そして、その先で出会えたものと一緒に楽しむ人生にしよう。どんな出会いがあるかはわからないけれど、酸いも甘いも書き残して、おじいちゃんになったときに読み返して、馬鹿なやつだなぁって笑えていたらいいな。

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