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その絶望は、「ずっと」は続かない

体調面の悪化。仕事によるストレス。たくさんの問題を抱え、いますべてを投げ出したい気持ちになっている。とはいえ、仕事をしなければ生きてはいけない。生活保護もひとつの方法なのかもしれないけれど、この一過性の問題のために、すべてを投げ出すのはもったいない。

新しい仕事をするたびに、胃がキリキリして、夜もまともに眠れなくなってしまう。いい緊張感を持って仕事に取り組めている証拠だけれど、これが毎月続くとなると、心が保たなくなってしまう。

そして、1番のネックは目だ。先週もまた目が見えなくなった。難病によって目が見えなくなる日もあるため、無理はできないのである。目が見えなくなる件は、1日で回復したけれど、また見えなくなる可能性がある恐怖と戦い続けることに、ストレスがかかりすぎている。

もっと仕事がしたいと思っても、体が制御してくる。普通の生活を送れていたら、無茶をしてしまっていただろうし、丁度いいのかもしれない。でも、いまは少しでも仕事で成果を上げたい時期だから、目に爆弾を抱えた体がすごくもどかしい。

もうすでに心は、崩壊のカウントダウンを刻みはじめている。どうなりたいのか。どうしていきたいのかもわからない。誰かに助けを求めようにも、どう頼ればいいのかもわからない。悩みに対する答えがほしいのか。安らぎがほしいのか。それとも激励がほしいのか。それすらもわからない。

漠然とした悩みに対する答えはいつだって、漠然としたものになるのがオチだ。じぶんの中で答えが出ないから、人に頼る、それもいいだろう。相談によって心が少しでも軽くなるのであれば、御の字だ。

あと目が見えないストレスがすごいと相談したとしても、相手も対応に困るし、答えはよく見積もっても3つぐらいしかない。悩みを人に相談できない。これはプライドなのか。諦めなのか。それとも相手を困らせたくないという配慮なのか。それすらもわからない。

すべてがわからない。正解とか不正解ってなんだ?生きていく上でそいつは必要なのか。そもそもなぜ人は生まれるのだ。生きる意味なんてない。そいつを見つけるために人は生きる。

もう綺麗事はいいよ。綺麗事なんかでは救えない人もいる。それも理解してほしいし、絶望の淵にいる人には綺麗なものには見えないし、上から物を言われているような気もする。

相手の善意に悪意で返すぐらいなら、誰にも相談しないほうがいいのかもしれない。人は1人では生きていけないけれど、1人になりたいときもある。

優しさは押し付けであってはならない。優しさは相手の機微をよく観察した上で与えなければ、暴力に変わってしまう。

なんだろう。いまの気持ちをうまく言語化も整理もできないや。でも、卑屈になっているのだけはわかる。そして、この苦しみからいつか解放されることも、また誰かと一緒に生きていきたいと思うこともわかっている。

この感情は一過性のものである。そして、この絶望はずっとは続かない。そう信じて、苦しみから逃げずに生きていくしかない。苦しみの渦中では大事なものを見失いがちになる。だからこそ、大切なものがなんなのかを把握する努力を怠らないでいたい。

強く、そして、弱く、絶望しながらも、少しずつ前に進んでいくしか残された道はない。

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